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ツクルゴラク

久々に図書館に行った。

ちょっと前、愛知県に住んでいたときは、毎週図書館に通っていた。だいたい貸出期間が二週間ぐらいだから、一週間ぐらいで読める冊数の本を借りて、読んだものを返し、返した分を借りる。

そうやって、返すものと借りるものをサイクルで回していくと、無限に図書館の本を読み続けることができる。東京に引っ越してきてからは面倒で行っていなかったのだけれど、あらためて行ってみて、図書館ってすさまじい施設だよな、と感じた。

こんなものが平然と建っているのだからとんでもない、と思った。
 
図書館には膨大な量の本がある。僕はだいたい年間で100冊から120冊ぐらいの本を読むのだけれど、仮に150冊読んだとしても、60年間でだいたい9000冊。

これがだいたい、生涯で読める量の限界だ(実際にはこんなに読めないだろう)。もっとも、複数回読んだりする本もここに含まれるから、さらに減るはずだ。図書館には何万冊も本が置いてあるから、人が生涯で読む本よりもはるかに多くの本が、しれっと置いてあることになる。

しかも、この本はどんどん入れ替わっていくし、無料で読むことができる。ものすごい施設だ。

就職してから、ずいぶんと安月給で働いてきたけれど、少しは蓄えがある。別に贅沢しているつもりもないけれど、特に切り詰めているつもりもない。

もともと、そんなに金のかからない人間なのだろう。酒もやらないし、たばこも吸わないし、ギャンブルもしない。

本代はそれなりにかかるかもしれないが、図書館を利用すれば、それすらタダになる。あとは、近所を散歩でもしていれば、それなりに楽しい時間が過ごせる。とにかく安上りだ。

現時点でもだいぶ金がかからない人間なのだけれど、さらに娯楽にお金が使えない状況になったら、もっと創作に力を入れるのでは、と思う。

現時点でも、メインの趣味がnoteとラジオなのだけれど、これは自分から発信するタイプの娯楽で、お金はかかっていない。音楽や小説では、少額ではあるが、お金を払ってくれる人もいる。

以前、インターネットの記事で、「創作を趣味なんかにしなければよかった」みたいな内容のものを見つけた。なんでも、「創作はとにかく時間を吸い取られるので、創作に使った時間をほかのことにまわしていれば、もっといろんなことができた」というのだ。

しかし、僕はそれはなんか違うように思う。

創作とは、究極の暇つぶしなのだ。

人生は短いけれど、お金を使うことが考えれば、それなりに長い。毎週毎週、どこかで遊ぶためには、かなりのお金を稼がなくてはならない。創作が趣味ならば、一円もかからずに一人で遊べる。インプットの娯楽には、図書館とかYouTubeを使えばいい。
 
お金がかからないのは結構なんだけれど、こういう人がたくさん増えると、経済とかがまわらなくて大変だろうな、とも思う。まあ、でもいいや、そんなこと。

作る娯楽で、生涯遊びたい。

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