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メディアとしての営業

僕は固定電話を持っていないので、全くかかってこないのだけれど、固定電話があると、ときどき営業の電話がかかってくる。

特に、うちの実家は、父がマイクロ法人を持っているのでいちおう「事務所」ということになっており、コピー機の営業電話なんかがたまにくる。平日、勤めている会社で仕事をしていると、一日に1、2件ぐらいは営業電話をとる。

普段は気にも留めないけれど、けっこうな数の営業電話がかかってきてるんだな、と思う。
 
いまの時代、営業って必要なんだろうか。欲しいものはなんでもネットで買える時代だ。

対面で説明が必要なサービスですら、ネットで検索して、最適なものはだいたい自分で調べられる。営業マンがせっせと自社製品の知識を蓄えても、「別に知ってるし、調べられるし、いらないよ」となってしまうことのほうが多い。営業の姿勢は、ネット以前とネット以後で、大きく変わるのかもしれない。
 
自分がものを買う立場になって考えると、どこで買っても同じだな、と感じるものは、やはりネットで買うことが多い。

特に家電製品などで、具体的に欲しい商品が決まっている場合、家電屋さんに行っても目的のものがあるとは限らないので、ネットで注文したほうがいい。本などについても同じだ。

それでも、僕はよく秋葉原のヨドバシカメラに行く。「買いたいものがよくわからないから行く」のだ。本屋に行くのも理由はだいたい同じだ。

つまり、「何か新しい発見がしたくて」お店に行く。買い物って、目的がはっきりしている場合とそうじゃない場合がある。
 
そう考えると、営業マンの役割が少し見えてくる。自社製品をストレートにアピールするだけの営業なら、ネットで事足りる。

営業マンが自社製品を紹介するとき、もちろん自社製品のいいところしかアピールしないわけで、そういう人の言うことを鵜呑みにして購入することを決断するのはリスクがある。

でも、こちらの要望や、どういうものが欲しいのかといった「なんとなく」の話を聞いてくれて、目線をあわせてくれる人がいたら、できればそういう人からものを買いたいと思うだろう。
 
目的の買い物がある場合というのは、どういう場合だろうか。

僕の場合、買いたい本がピンポイントで決まっている場合、なんらかのメディアでそれを目にしたから、というのが多い。たとえば、読書ブロガーが紹介していた本などだ。

一方で、本屋に行く場合は、そういう具体的なものがない場合になるわけだけれど、その場合は、本屋が「メディア」として機能している、ということになる。

だから、営業は「メディア」なんだ、と定義することもできる。自社製品のことだけじゃなくて、業界全体のことをよく知っているメディアだ、と。

「欲しいものを売ってくれる」だけの存在であればネットの代替にはならないけれど、「メディアとしての営業」であれば、いまの時代でも十分に通用するのかな、と。

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