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人脈、だけでなく

「人脈」という言葉をよく使う人がいる。

あらためて聞くと、けっこう不思議な言葉だ。たとえば、自分の純粋な友人のことを「人脈」とはあまり言わないだろう。

ビジネス上とかで、「繋がりがある」人を指すときにこういう言い方をするだろうか。「人脈」というとなんだかすごい響きがするけれど、実際のところ、誰か特定の人のことを「人脈」と言うとき、「話ぐらいはできる」というぐらいの関係性を指すような気がする。

仕事でいうと、「取引がある会社」ぐらいの感覚。もちろん、話すらできないことも多々あるのだから、「話ができる」だけでも十分にすごいことだとは思うのだけれど、こちらから何かを提供して、向こうからも何かを提供してもらう、「取引」の関係性を超える感覚ではないと思う。

本当の友人や家族のような関係ではないだろう。

「人脈」がたくさんある人よりは、少なくても「人望」がある人のほうがいいな、と個人的には思う。

「人脈」は自分と対等、あるいは自分よりも目上の人を指すことが多いような気がするが、「人望」というのは自分のまわりの人から支持されている状態であるような感じがする。

これは「繋がりがある」というレベルではなくて、「この人のためになにかしたい」と思われているような状態だ。こういう人間関係を大事にしたいな、と思う。
 
大学を卒業するときに、学部長と少し話をした。学部長となんて、在学中はほとんど話す機会はなく、そのときがほとんどはじめてだったような気がするのだが、偶然、少し話をした。

学部長は、「他人に勝とうとするな」と言った。「競争をして、人を負かそうと、蹴落としたり、押し除けたりすると、必ずあとから足を引っ張られる。それよりも、周りから助けられ、押し上げられるような人間になれ」と。

話をしたのはそのときだけだし、よく聞くようなことではあるのだけれど、10年近く経ったいまでも覚えているということは、けっこう印象に残っていたのだろう。なるほどな、と思ったのを覚えている。

人間はひとりでは何もできない。人脈を使って誰かと繋がったとしても、自分の周囲に、それを実現して、押し上げてくれるだけの仲間がいなければ、何もできないだろう。

そのためには、自分もなにかを「仲間」に差し出さなければならない。でもそうやって、人間関係はできていくのかな、と。
 
「人脈」という言葉には惑わされたくない。本当に誰かと繋がりたいのであれば、自分がそのレベルになれば、SNSでもなんでも繋がれる。それよりも、仲間と、人望を大切にしたい。

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