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お金とやりがいどっちが大事か? というザックリした問い

就職活動をしていたときのことだ。ある企業のグループ面接で、面接官に対して質問ができる時間があり、ある企業志望者の人が面接官に対し、「なぜ仕事をしているんですか?」というかなりざっくりとした問いを投げかけていた。

面接官の答えは、「それは、若い頃はよく考えたが、最近は考えないようにしている」と答えていた。もちろん、それが正直な答えかどうかはわからないのだが、なんだか拍子抜けするような内容だったのはよく覚えている。
 
これ系の問いは就活では定番なのか、他の企業では、面接官からの質問で訊かれた。

なかでもよくあったのが、「お金とやりがい、どっちが欲しいか」というものだ。確かに大事なことではあるが、そういう問いにしてしまうと、底が浅くて、ちょっと萎えてしまうのだが。


 
生物には、単細胞生物と、多細胞生物がいる。単細胞生物は、ひとつの細胞で生物としての機能をすべて備えており、基本的に不死である。自らを分裂させることによって個体を増やしていく。

一方、多細胞生物は、多くの細胞が寄せ集まって個体を構成しているが、図体が大きいので無駄が多い。また、死は免れない。機能がかなり限定されている細胞も多く、効率でいえばあまり良くはないだろう。複雑であるがゆえの不都合さがあるわけだ。
 
しかし、当然ながら、複雑な生き物であればあるほど、高等な生物だと言える。地球上で最も複雑な生物は人間だろう。

しかし、我々のひとつひとつの細胞と、ひとつの細胞ですべてが完結している単細胞生物を比較してみると、単細胞生物のほうが優れているような気もしてくる。高等生物といえども、たいして役に立っていない細胞もたくさんあるからだ。

しかし、例えば、脳細胞と脂肪細胞のどちらが重要か、などという問いもあまり意味がない。役割の違ういろいろな細胞が、我々の構成要素のひとつとなっているからだ。

僕らは個人ではあるが、会社組織で働くということは、その会社の細胞になる、ということを意味する。もちろん、自分の意思で離れていくこともできるが、そこに所属する以上は、なんらかの役割が与えられ、その役割を全うすることが、個体全体に寄与する。
 
しかし、そんな「組織」も、「社会」という大きな器の中で存在している。個々の組織は、自らの組織の利益になるような行動を選択しているだけなのだが、それが結果として社会全体を成長させることにつながっている。
 
つまり、仕事をするとは、「社会に参画する」ということなのだと思う。社会をひとつの生物とみなした場合、そのなんらかの細胞になるということだ。

ちろん学生だって社会に参画はしているが、仕事を通じて、より能動的に活動することができる。その社会に参画した報酬としてお金をもらうわけなので、何が重要か、というのは意味をなさない。


 
僕は、綺麗事ではなく、社会の役割を全うする、というところに仕事のモチベーションを見出すかもしれない。お金やらやりがいやらは、別にあればあったでいいのだけれど、それほど重要ではない気がしている。
 
ただお金を持っているだけの大金持ちは、仕事をしていないので、社会から外れてしまっている。そんなつまらないことはないだろう。なので、世界の大富豪たちは、どれほどお金を持っていても、基本的に超多忙なのである。

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