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作品を「売る」ということについて

少し前に友人と、アーティストとして自分の作った作品を「売る」ということについて話した(この模様は、対談記事として近日中に公開予定)。その友人は、アーティストをメインの生業にしようとしているのだが、自分のつくった作品の値段設定について悩むことが多い、ということだった。
 
僕は自分が制作した作品は、概ね無料で公開している。最近、ありがたいことにコラボして作品を作ったりすることも多くなってきたのだけれど、なるべく金銭のやりとりは発生させないようにしている。発生するにしても、一回あたりいくらとかの「これを支払ったりもらったりすれば終わり」というような関係にすることが多い。趣味としてやっているので、金銭関係で揉めるのはストレスの溜まることであり、一番避けたいことだからだ。
 
自分の作品に値段をつけることは難しい。とくに、僕が作っているものはだいたいパソコンを使って制作しているものなので、完全なコピーが可能だ。紙に描いている絵など、この世に一点しか存在しないものであれば価値のつけようがあるかもしれないが、完全にコピーできるものとなると価値をどうつければいいものか、なかなか難しい。

ただ、これからは他人から依頼されたものについては多少は金額をつけようかな、と思っている。別にこれで儲けたいと思っているわけではなく、とりあえずの処置として。
 
僕は、音楽制作などは完全に趣味としてやってきているので、逆にこれを仕事にしたくない、と考えていた。仕事にするということは、金銭と引き換えに自分の創作物、つまり嗜好の塊を売り飛ばすことだ、と考えていたのだ。
 
僕は異常にこだわりをもっていることと、異常にこだわりをもたないことの差が激しい。こだわりをもっていないことについては、他人の意見をほぼ100%受け入れるが、こだわりをもっていることについては、ほぼ受け付けない。
 
仕事のうえでは、僕はなるべくこだわりをもたないようにしている。自分がどれだけ「ダサい」と思っても、それが結果的に利益をうむのであれば実行する。それが仕事をすすめるうえでもっとも効率がいいからだ。
 
でも、自分がこだわりをもっているものについては、一切妥協したくない。自分が「違う」と思ったことは、断固として受け入れたくない。たとえば、僕の作曲に対するスタンスはそんな感じなので、「これでは仕事にならないだろうな」となかば諦観している。

でもまあ、最近、ちょっと考えをあらためて、「自分が納得できる依頼だけ受ければいいか」とも思うようになった。理由はいろいろあるのだが、そのほうが世界が広がるような気がするし、自分がこれまでできなかったこともできるような気がするからだ。確かに自分が納得できないような依頼であれば、自分のこだわりを貫けないような場面もあるかもしれないけれど、自分の作品をきちんと理解してくれている人からの依頼であれば、たとえ金銭が介在しても、お互い納得できる形で着地できるような気がする。
 
あまり自分だけの殻に閉じこもっていても仕方がない。とりあえず外に出るというか、他人からの依頼を受けることもやってみたいな、と。
 
作曲の依頼をしたいひとはご連絡ください。値段等は応相談、というか、これから決めます。
 
自分の過去の作品については、こちらをご参照ください。では。

(執筆時間13分34秒)

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