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「ジブリの後継者」は本当にいなかったのか?

「おまけの夜」というYouTuberが宮崎駿について語っている動画を見た。

正直にいうと、この人の解説はピンとこないこともときどきあるのだけれど、新しい情報を得るという観点では得るものが多い。ジブリ周りの出版物やドキュメンタリーはかなりの数が出ており、そのうちの大半には目を通しているつもりだったのだけれど、まだまだ知らないことってあるもんだな、と思った。

宮崎駿という人物は、ほとんどの人が顔と名前は一致するだろうし、映画を見たことがある人も多いとは思うのだけれど、素顔はわりと謎の人物である。膨大なインタビューやドキュメンタリーがあり、資料は豊富にある。快活にしゃべっている映像も多い。一方、職人として気難しそうな雰囲気もある。

思想的なことも口にするのだけれど、その本質のところ、根っこの部分、自分の本音の部分はあまり語らないように思う(そもそも、昭和の人ってそんなイメージだけど)。また、インタビューやドキュメンタリーは50代以降のものが多く、若い頃のこともほとんど語らない。意外と、根っこの部分には、ピュアな部分が多いのかな、と。

師匠的なポジションに高畑勲監督がいて、この人に「認めてほしい」という感覚があるのかな、ということを思ったりもする。興行的に成功していたり、世界的な名声というのは、「ジブリを支える」という意味でしか捉えておらず、本人的にはあまり響いていないような気もする。「作品の手ごたえ」と、世間の評価という意味でギャップを感じているのかもしれない。

宮崎駿の生涯(まだ終わっていないが)を4つの段階に分けてみる。

① 東映時代~ジブリ誕生(ナウシカまで)〜1984
② ジブリ前期(もののけ姫まで)1984〜1997
③ ジブリ後期(ポニョまで)1997〜2008
④ ジブリ晩年(〜君たちはどう生きるか)2008〜

①が当然若く、アニメーターとしてブイブイ言わせていた時代になる。しかし、業界では認められつつも、まだ世間一般的には名前も顔も知られていない状態である。

でも、上記の「おまけの夜」によれば、もうこの時点でほとんどやりたいことをやっていた、と。ジブリを設立してから、監督として「これまでやってきたこと」を総ざらいする。一番パワーがあったのが②の時期だろう。もののけ姫がひとつの集大成的な作品だが、そこでやりたいことが2周してしまった、と。

世間で本格的にジブリの名声がとどろき、数々の興行成績を塗り替え、世界的にも大きく知名度をあげたのは、それ以後の③(千と千尋以後)だが、もうその時点ではすでにやりたいことをやりつくしていた、ということだ。

確かに、ハウル以後の宮崎駿作品は、よくいえば神秘的で芸術的な作風だけど、悪くいえば「もう王道はやりつくした」というか、もう若干普通にやるのが飽きちゃっているような作品だと思う。ハウルもポニョも、ストーリーとしては崩壊してるし。

でも、とにかく作り続けないと、「ジブリ」がもたない、と。

よく「ジブリの後継者」というのが話題になる。後継者に継がせるのを失敗した、ともよく言われる。

しかし本当にそうかな? とも思う。ジブリに宮崎・高畑以外の監督が全くいなかったかというと、そんなことはない。「耳をすませば」の近藤喜文とか、「コクリコ坂から」の宮崎吾朗とか、「借り暮らしのアリエッティ」米林宏昌とか、いろいろいたわけで。

「ジブリの後継者」というのは、そもそもそう簡単には作れない。なぜなら、ジブリは宮崎駿ほどのヒット作を量産する大天才でも、採算がとれるかどうか、という体制でやっているからだ。

耳をすませば、コクリコ坂から、アリエッティなども、よくできてはいるけれど「日本の興行収入ランキングを塗り替えるほどの大作か?」と言われると、違う。よくできてはいるけれど、凡庸な作品だと思う。とてもじゃないが、それだけでジブリという巨大な船を支えられるほどの作品ではない、と。

その意味では「後継者はできなかった」と言えるかもしれないが、歴史的なヒット作を量産できる監督を育成できなかったからといって、「失敗」というのもまた違うような、ということである。ピカソの弟子がピカソなみの芸術家になれなければ失敗、と言っているようなものだ。

ジブリには当然ながら凄腕のアニメーターが大勢いて、監督として独立した米林監督をはじめ、「君の名は」で作画監督をつとめた安藤雅司など、すごい人はたくさんいる。しかし、宮崎駿クラスのヒット作品を単体で作れるほどかといわれると、うーん? と。

宮崎駿が「後継者」として思っているであろう人物が「エヴァ」の生みの親の庵野秀明である。たしかに、エヴァを生み出した庵野クラスであれば、後継者と言われても不自然ではない。

しかし、ジブリみたいな会社を継ぐよりは、それほどの才能がある人は自分でやりたいよね、ということで、庵野秀明はスタジオカラーというアニメスタジオを設立した。日本のアニメ制作会社は一代で終わりやすい、ということだろうか。

やっぱり全体的に労働環境が過酷なので、ジブリのように会社としてまともにしようとすると重すぎて崩壊してしまう、ということなのかもしれない。アニメ産業の限界が見える構造と言えなくもない。

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