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新聞を解約しました

今月から、日経新聞をとるのをやめた。もっとも、紙で新聞を読んでいたのはずいぶん前のことで、「やめた」といっても、日経電子版を解約したにすぎないのだが、いずれにしても、何年も契約していたものをこれで解除したことになる。

解約した理由はシンプルで、新聞を読むことにあまり意義を感じなくなったからである。全く意味がないとは言わないが、月に4000円ちょっとの支出に見合わないのではないか、と思ったのだ。非常にシンプルな理由である。

じつはこれまでも何度か「なぜ新聞を読むのか」と書いたり、「なぜ新聞を読まないのか」ということについて書いたりしてきた。要は、僕自身、新聞を読んでいる時期と読んでいない時期があり、その切り替えのフェーズで思ったことを書いてきたのである。

もっとも、読んだり読まなかったりを何度も繰り返しているので、また読み出すようになるとも限らない。果たして最終的にはどちらに転ぶのだろうか。

僕は新聞を「世の中を俯瞰するのに役立つメディア」だと捉えてきた。僕の新聞の読み方は決まっていて、一面から三面まではとりあえず全部の記事に目を通し、それ以後は大きな見出しの記事だけ読んでいく。

自分の関心のある記事ではなく、大きく取り上げられている記事に目を通すことで、世の中の大きな流れを把握するのが目的だった。

解約の最大の理由は、そうやって「大きく取り上げられている記事」に目を通したところで、世の中の動向がつかめているとは思えない、というものだ。たったそれだけの量とはいえ、なんだかんだで一日のうち三十分ほどを新聞を読む時間に割いていたのだが、それほど意味はなかったかな、と思っている。

新聞というものは、どうしても「政治」について語るのが中心になるので、確かに政治には詳しくなったものの、効用としてはそれぐらいな気がしている。また、株をやる人は新聞に書かれている経済記事によって、株価の上がり下がりを予測したりもするのだろうが、僕は株もやっていないので、それもあまり読む意味がない。

新聞で語られていることって、どの程度の価値があるのだろう。たとえば、自分に関心のある分野のニュースならば、すでにウェブ経由で知っていることがニュースになっていることも多い。知識を教えてくれるタイプの記事ならば、当然ながら本を読むなりしてすでにそれなりの知識を得ているので、新聞記事に書かれている内容よりも自分のほうが詳しい、ということはよくある。特に自分の仕事の専門分野などであれば、新聞に書かれていることはすでに知っていることも多く、そもそも記事の密度が薄く、あまり深いところまで書かれていないことが多い。

もちろん新聞に書かれているぐらいだから「最新」であることは間違いないのだが、広く一般の読者が読むことを前提としているので、どうしても内容が薄くなってしまうのだろう。

もちろん、自分の知らないことを新聞で「知って」、それを本などで深堀りしていく、というアプローチはできる。しかし、それにしても、別に新聞である必要はないな、と思うのである。

新聞でじつは一番誌面を割いているのは、エコノミストなどの「識者」の書いた文章だろう。もちろん参考になる面が全くないとは言わないが、どうも、そういう人たちが「食べていく場」として新聞が存在しているような気もしてくるのである。「読み物」として新聞を見た場合、書籍による情報のほうが自分は重視している、といったところだろうか。

とはいえ、ためしにスマホのニュースアプリを開いてみたが、くだらない芸能ニュースなどが大半で、とてもまともに目を通す気にはなれなかった。マシなのはyahooニュースぐらいかと思ったので、しばらくはそれに目を通す日々が続くと思う。

浮き世の情報をさらしすぎると俗にまみれるし、知らなすぎても角が立つ。どこかに、その「折り合い」があるのだろう。

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