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いま、どうするの?

僕のこのブログのテーマのひとつとして、「視点を変える」というものがある。

普段とは違うものの考え方や、見方をすることによって、新しい視点を獲得しよう、というのがひとつの狙いとなっている。
 
他人の話や、主張を見ていて、「ふにゃふにゃの思考」の人がいるな、と感じることがある。こちらでもいいけどあちらでもいい、どっちでも構わないんじゃないか、みたいな意見だ。

僕は、アタマを柔軟にして、いろんな意見を取り入れることも大事だとは思うけれど、ものを考えて「視点を獲得する」ためには、意見を固めて、他の意見は一切受け付けない、といったような「頭を硬くする」ことが大事だと考えている。
 
これは議論をするときの基本だ。ディベートなどでも、まず最初に「自分の立場を明確にする」ところからはじまる。そこから論理を組み立てていき、自分に有利に議論がすすむように誘導する。

何かを強く主張することで、初めて「反論される」ことができる。自分が組み立てた論理で、相手の論理と戦う。もし、自分の主張を押し通せなくなったら、すなわちそれが「論破された」ということだ。
 
論破されれば、思考の「欠陥」が見える。どちらでもいいんじゃないですか、というような「ふにゃふにゃの思考」のままでは、論破されることさえできない。

思考を深めて、新しい視点を獲得することができないのだ。

仕事をしている人は、仕事をしながら、こういったことを日々体験していると思う。

ある仕事を依頼されて、見積もりを作成したとする。「10万円かもしれないし、100万円かもしれない、もしかしたら1000万ぐらいかも?」なんてふにゃふにゃの見積もりは、どんな会社員だって出さないだろう。そんなことを言ってくる営業マンに発注したい、と思う人はいない。
 
契約を進めるときには、自分の主張と要求を明らかにし、互いに合意しなければならない。

あまりにも安く見積もりを出して、採算が合わないのに受注してしまったら、「なんでそんな金額で出すんだ馬鹿野郎」と上司に怒られるだろう。逆に見積もり金額が高すぎても、「なにそんな馬鹿げた金額で失注してるんだ」と怒られるかもしれない。

仕事というのは、自分の要求を明確にして、相手の利益と折り合いをつけつつ、合意をとりつけるゲームだ。だから、「間違っていた」「正解だった」が比較的わかりやすい。自分で自分の要求をまとめられない「ふにゃふにゃの思考」では、何ひとつ仕事を前に進めることはできないだろう。

今は新型コロナウィルスの影響で、あらゆることで決断を迫られている時期だと思う。答えはおそらくないが、何らかの選択を「選びとる」必然性を迫られている。「こちらでもいいけど、あっちでもいいかも」なんて、言っている状況ではないのだ。

「いま、どうするの?」ということ。

間違っていても構わない。間違っていたら、修正すればいいのだから。
 
何かを決断すると言う事は、他の何かを捨てること。何かを決めたら、自分の意思と要求を明確にして。前に進んでいきましょう。

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