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どれだけ「人間」を理解しているか?

まだ今年は終わっていないし、別にそれほどたくさんマンガを読んでいるわけではないが、今年読んだマンガのナンバーワンは「スキップとローファー(スキロー)」に決まりだな、と思った。

もともと知っていたわけではなく、たまたま手に取った。アニメの放映をやっているが、原作とアニメどちらが先だったかは覚えていない。以前から話題になっていたわけでもないので、今年アニメになってヒット作になることは誰も予期していなかったのではなかろうか。

この作品のどこがすごいのかというと、「人物を描く力がすごい」。簡単なあらすじとしては、石川県の田舎で生まれ育った主人公の「みつみ」が、東京の高校に進学する、というお話である。

ストーリーラインとしては本当にそれだけなのに、面白い作品になってしまう作者の力量がおそろしい。ちょっとギャグ要素がありつつも、全体的に「実際にいそうな感じ」になっているのがすごい。実体験などをモデルにしているのかもしれないが。

「人物描写が優れていて、それだけで面白いマンガ」は、マンガの完成度の中でも最高峰な気がしている。「三月のライオン」「ハチミツとクローバー」で有名な羽海野チカ先生もこのタイプだろうか。

ただ、こういったジャンルは弱点もある。ひとつは、要約するのが難しいことだ(というか、ほぼ不可能)。なので、人におすすめするのが容易ではない。僕も、奥さんにおすすめしたのだが、特におすすめできるポイントが思い当たらず、「とにかく読んでみて!」と言うしかなかった。

また、普段から思っているのが「人が死なないのに面白い作品はレベルが高い」ということである。別に死んでもいいのだけれど、誰か人間が死んだらドラマチックになるのは当然のことなので、そういった道具を使わずに面白いのであればそれはすごい、ということになる。

ちなみに、アニメも放映されているものの、やはり原作のマンガと比較すると3倍ぐらいに希釈されている感じがする。マンガの面白さはやはりマンガで味わうのがいい、ということだろうか。

昭和の大作家は、よく若手の小説家に「女が描けていない」などとダメ出しをすることがあったという。しかし、大御所作家のいうところの「女」とは、すなわち「水商売の女性」だった。なぜなら、大御所作家が普段から接点のある女性は水商売の女性だからである。

なので、昭和の小説の女性というのはいまのフェミニストが見たら倒れてしまいそうな人物像のものもある。そもそも、昭和の大作家の周辺の女性は、たとえ妻であっても小間使いみたいな立ち位置のケースも多かっただろうから、それは当然かもしれない。

このように、人は「身の回りにいる人物、または自分」を観察して、自分の作品に投影する、ということだろう。なので、「女性」「男性」とかなり大雑把にくくっても、自分がどの程度「人間を理解しているか」という点においては、よくよく慎重になったほうがいい、ということだ。

どんな作家でも、よく知っているタイプの人とそうでない人がいるはずだ。上記の「スキロー」でも、「女子高生」の人物像は極めて巧みなのだが、男子生徒はちょっとそれよりは荒いというか、なんか解像度が低い、みたいな部分もある。

面白いのは将棋マンガである「ひらけ駒!」というマンガで、将棋が好きな主人公の少年とその母親の話なのだが、主人公の少年パートは妙にあっさりしているのに対し、母親パートになると妙に力が入ったりする(作者が女性だからだと思うが)。そういう意味では、物語を作る際には、「異性の監修」みたいなものがあったらいいのか? などということを思ったりもする。編集者やアシスタントに異性がいるといい、とか。

もっとも、少年マンガに出てくる女性ヒロインみたいな感じの生き方がしたい、という人もいるだろう。アニメの声優とかはそういうのを演じまくっているので、だんだん自分に乗り移ってきてしまう、ということもあるかもしれないし。アイドルなんかは、そのまま「(異性にとっての)理想」を追求する商売である。

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