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愛とか恋とかで人類がまだやってないことってまだあんのか

恋は落ちるもの、愛を育むもの、とかよく言う。

恋は衝動的に落ちるものであって、自らコントロールがきかなくなる感じだが、愛はまたちょっとそれとは違うようだ。

個人的には、恋というのは結構ワンパターンで、バリエーションに乏しいような印象があるが、愛にはそれなりにいろんなパターンがあると思う。恋人同士が相手を愛し合うというのももちろん代表的にあるが、家族同士の結びつきも愛の形だと思うし、友人間の結びつきだって似たような感じだろう。

それに付け加えれば、例えば、自宅で育てている観葉植物に愛を注いでいる、という人もいるだろう。観葉植物に恋してる、というと、そういう人ももしかしたらいるのかもしれないけれど、ちょっとやばい人、という感じがする。
 
物理的なことを言えば、恋というのは人間に備わった動物的な反応で、結構本能的なものなのかなという感じがする。

科学的には、おそらく何らかの興奮物質とかが分泌されて、脳が「騙されて」いるのだろう。

もちろんそれは悪いことではない。そういう機能がないと、人と人がくっつくことってなかなかないと思うし、進化として必要な機能だったのだろう。

それに対して愛は、結構いろんなパターンがあると思う。最近フィクションの世界では、ヤンデレというか、狂気的に相手を愛するみたいなキャラクターが登場したりするが、愛の多様性を示す例のひとつだろう。

相手を一方的に傷つけることで、自分から離れていくかどうかを見る、というタイプの危険な愛もある。あるいは、一切相手に接触せずに、見えない場所からの支援を続ける愛などもあるだろう。

それらは、古今東西あらゆる文学作品などで表現されてきたが、もうそういうパターンは全て出尽くしているのだろうか。それにしても、網羅してみると結構いろんなパターンがあるとは思うが。
 
「愛は育むもの」とはよく言ったもので、恋と比較してみると、「時間」がある程度関係してくるのかな、と思う。出会って5分で愛を育むというのはなかなか難しい。

上述のように、恋に落ちる事だったらあるかもしれないが。というか、恋に落ちるのって結構瞬間的なことのような感じがするので、やはりこれは何らかの物質が脳内で分泌された瞬間なのかもしれない。長期間にわたって恋に落ちる、というのはなんだか想像しづらい(あるのかもしれんけど)。

僕ももちろん人並みに恋をしたことがあるが、成就してもしなくても結構しんどいものだなぁ、というのが正直なところだ。もちろん成就しないよりはした方が良いに決まっているのだが、したらしたで自分の理性が振り回されることなどがあり、けっこう大変だった。

端的に言うと、仕事や勉強にあまり身が入らなくなる。自分の意思でコントロールするのがなかなか難しい。まあ、青春ということで。
 
恋はどちらかと言うと動物的で、愛の方が人間的と言えるかもしれない。対象は人とも限らない。物や現象にさえ、人は愛を注ぐことができる。
 
「愛」はあまりにも範囲が広すぎて、人間活動の大部分がそれで説明できるほどですが。

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