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「シンプルなものがいい」の罠

シンプルさと複雑さについて書かれた記事を読んだ。

僕らはみんな、複雑なものにあこがれるけれど、シンプルなもののほうが力強いし、シンプルは複雑なものより難しい、という内容の記事である。

これを読んで、確かに、と感じるところはあった。たとえば、普段仕事で書く業務日報なども、仕事をちゃんとしていると見せるために複雑なことをたくさん書きたくなるし、新しく開発している製品も、革新的な製品であることをアピールするために複雑な機能をたくさん搭載させたい、と思うだろう。

しかし、余分な機能がゴチャゴチャとついたものよりも、結局はシンプルなほうがわかりやすいし、受け手もそれを求めているし、必要な機能を厳選するのも難しい、ということだろう。

記事では「ドラゴンボールのフリーザの最終形態はシンプルだ」という例をあげていたが、たとえばiPhoneなどのアップル製品も極めてシンプルだし、高級ブランドもデザインやディスプレイはごちゃごちゃせずに余白を大事にとっている。なので、「シンプルは強い」という意見は一定の説得力がある。

……という部分もある一方で、「じゃあ、なんでもシンプルなのが一番いいのか」というと、これは結構「罠」だな、と個人的には思っている。というのも、世界は非常に複雑なので、「シンプルなものだけ」に接するわけにはいかないからだ。

ときどき、複雑化しすぎて立ちいかなくなったときに、シンプルな原理原則に立ち返ることは必要かもしれないが、そういった心がけを必要とするほどに、現実世界とは複雑怪奇で、理解が難しいものだ、と思っている。

高校の物理の授業のとき、物理の法則は非常に簡単な数式で表記されるのが不思議で、先生に質問したことがある。そのとき、先生は「物理法則がシンプルなのは、世界が美しいからだ」みたいなことを言っていたように思う。

しかし、いまの僕は別の意見を持っている。物理法則がシンプルに見えるのは、シンプルなところまで「分解しただけ」にすぎない。つまり、これ以上分割できない、という部品の部分まで分解し切ったので、一見するとシンプルに見える、というだけのことである。

複雑な機械を分解して、板とネジとバネと歯車の状態にしてから、「なんだ、あんがいシンプルですね」といっているようなものである。シンプルな板とネジとバネと歯車が相互に働きあって、複雑な機械になる。その機構は、部品だけ見ても解明できないだろう。

現実世界は、空気抵抗、摩擦などいろいろな要素が複雑に絡み合っているのに、「摩擦のない床」などが問題として当たり前に登場してくる。

自動車のエンジンの開発は非常に難しいことでよく知られているが、エンジンの燃焼は計算が非常に難しいため、試験をしなければ求められないからだ、と言われている。試験を繰り返して得られたデータを開発に利用しているわけだ。同じように、航空機などの空気抵抗の流体力学なども、計算で求めるのが非常に難しいので、試験を繰り返す。

最近だとスパコンでそういったものを計算したりするが、とにかく現実の挙動を計算で求めるのは非常に大変、ということなのだろう。

将棋をやっていてもそれがわかる。将棋の駒の動きそのものは非常にシンプルで、ものの数分で覚えることができる。しかし、それらが組み合わさることによるバリエーションは天文学的で、一生指し続けても解明できない。

それどころか、現代のコンピュータが膨大な計算をしても、いまだに解析できない。ひとつひとつの動きやルールがシンプルだからといって、全体がシンプルとは限らないのだ。

よく、頭がいい人の特徴として「平易な言葉で説明できる」ことを挙げることがある。しかし、僕は別にそれは「平易な言葉で説明できる能力がある」というだけであり、頭の良さとはあまり関係がないと思う。

一流の専門家は、素人にわかりやすい言葉で説明できる能力がある必要はない。専門家に対して伝われば十分である。専門家同士の会話や論文は、素人には絶対に理解できないが、それで本来かまわないのである。

iPhoneなどのアップル製品はシンプルな見た目と使い心地をしているが、中身までシンプルというわけではもちろんない。ユーザーが「シンプルだ」と感じる裏では、天才的なエンジニアたちの苦労による、とんでもなく複雑な仕組みがある。

最近、SNSなどでは、専門家や政府からの説明に対し、「納得できるように説明しろ」と迫る人が多い。しかし、問題は平易な言葉で説明できないほうではなく、それを理解できないバカのほうなのである。

もちろん平易に説明することは可能ではあるが、そのプロセスで必ず「何か」を省略しなければならないので、正確な説明にならない。シンプルでわかりやすい説明を求めるバカは、自分から不正確な情報を求めている、ということになる。

バカから脱却するには、シンプルなもので満足するのではなく、複雑なものを読み解けるようになる必要がある、ということである。物事をシンプルにし、理解を深めることは大事だが、「複雑な現実をそのまま」理解できるようになるのが望ましい、というところだろうか。

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