時間術などない

前職で働いていたとき、「休みは劇薬」という言葉を思いついて、よく使っていた。

かなり激務というか、ブラックそのものな働き方をしていたので、むしろ働いているほうが調子がよく、休むと一気に体調を崩したりしていたのだった。

感覚としては、マラソンを走っていて、急に止まると足が重くなる現象に近い。あれ、なんなのでしょうね。いちど止まると、足が重くなって、また走り出すことが困難になってしまう。
 
要するに、本当に大変なときは、一日や二日の休みでは疲れがとれない、ということだと思う。短期の休みは、誤差の範囲というか、ちょっと足を止める、ぐらいの意味合いしかもたない。

だからといって、長期の休みをとると、それはそれでなまってしまって、また働き始めたときがしんどくなる。

「とれば疲れは癒せるけれど、また走り始めたときがしんどい」。

だから、休みは特効薬ではない。そういう意味での「劇薬」なのだ。
 
じゃあどうすればいいのか、というと、端的にいえば「無理をしない」ということになる。無理をして、働きすぎると、休んだときの反動が大きくなる。

だから、普段から無理をしない。しかし、足を止めるとかえってしんどくなるので、適切な負荷を与える。そうして、ある程度は鍛えておく。

「適切な」というのが大切で、楽をしてはいけない。それなりにしんどく、しかし無理をしない、このコントロールが重要になる。

こういうのは突き詰めると、時間の使い方に行き着く。

「時間術」という言葉がある。「術」というのがつくので、非常にうさんくさい。なんとなく、錬金術を彷彿とさせる。

もちろん、誰でもわかる通り、時間が増えることはない。誰でも平等に24時間が与えられている。

時間がうまく使えていない人は20時間ぐらいしかないのか? というと、そんなことはなく、ちゃんと24時間が与えられているはずだ。なにかをして、24時間を「埋めて」いるはずである。
 
時間がうまく使えていない、と感じる人は、だいたいふたつのポイントを意識すればいいのでは、と最近よく思う。

まず、ダラダラする時間を減らす。

帰宅して、くたびれてしまってダラダラすることは、人間ならば当然あるとは思うのだが、そういう時間を減らせばいい。具体的には、もうちょっと体力をつけるとか、睡眠の質をあげる、などだ。地味だけれど、そうするのが有効だと思う。有効なものはたいてい地味だ。

そんな余裕はない、という人は、たぶんそんなに楽しいことがないのだろう。楽しいことがあれば、どんなに疲れていてもそれに没頭できるのでは、と思う。

あと、僕は酒飲みではないので該当しないのだが、お酒を飲むと思考力が低下するので、自分のやりたいことに注力できない。飲酒もほどほどにしたほうがいい。
 
もうひとつは、他人と関わる時間を減らす。どうでもいい友人や同僚とは距離をおいたり、縁を切ったりする。これだけで、だいぶ自分の時間が確保できる。

どうしても関わらなければならない人がいるとしたら、それもまた「人生」だろう。

効率を追い求めると、究極的には、人生なんてなんの意味もない、という結論に到達する。
 
時間術なんて意識せずに、やりたいことをやれればいい。一日は誰でも二十四時間だし、残りの人生は有限だ。

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