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世界に関心を持ち、謎を持ち続ける限り、書くことがなくなることはない

先日、文学フリマに参加した際、noteで交流がある「あやめし」さんのブースに行った。noteで毎日連続更新している人はたくさんいるが、彼女は連続で1800日以上更新している強者つわものである。

僕も1500日は超えたのだが、彼女が途中でやめない限り、絶対に追い抜くことができない。すごいことである。

少し会話をしたとき、「毎日更新のネタはどうしてるんですか?」と問われた。いや、あなたも毎日更新しているのでは、と思ったのだが、どうやって可能にしているのかを考えてみると、ストックを作っているからではないかと思ったので、そのように言った。

僕は、常に7本から10本程度の記事のストックがあるので、更新が大変だと思ったことはない。しかし、「ネタをどうやって見つけているのか」についての問いに対しては、これは答えになっていない。そもそも、それだけのストックをどうやって作ったのか、ということだからだ。

ネタがなくて今日の更新がやばい、という状況になったことがない。それは上記のようにストックがあるからなのだが、基本的には毎日書いているため、ストックが減ることもない。なぜストックをしているのかというと、仕事が忙しかったり、家庭の用事があったりして物理的に書くことが困難な日があるからである。しかし、なぜネタがなくならないのだろうか。

漫画家の荒木飛呂彦がインタビューで「ネタが尽きることはないんですか?」に対する答えとして、「ネタが尽きることはない、と信じることです」と言っていた。「宇宙が広がっていくように、アイデアも広がっていくんです」と。

確かに、そのような感じはある。つまり、自分が何かに疑問を持ち、それについて知ることで、また新たな疑問が生まれる。疑問に思ったこと、そして何かを知ったことを書けばいい。書くことによって、また新しいステージに行くことができる。

世界に関心を持ち、謎を持ち続ける限り、書くことがなくなることはない。自分の中の世界も膨張していくのだ。それについて書けば、無限に何かを書くことができる。

自分の技量的な問題もあるかもしれない。書けば書くほど、書く力が増し、抽象的なことでも書くことができるようになる。そういえば、昔noteをやるまえに更新していたブログはときどきネタに困ることがあったのだが、ここ数年はない。そういうレベルに到達したのかもしれない。

しかし、コツのようなものがあればぜひ言語化してみたい。ひとつ思いつくのは、抽象的なことを書く、ということだ。たとえば、コンビニでこういう店員がいた、とか、電車の中でこういう会話を聞いた、みたいな具体的なエピソードの場合、ネタが尽きることはあるだろう。そういった特殊な体験が枯渇すれば、書くことはなくなってしまうかもしれない。最終的には「創作」するしかなくなる。

しかし、自分が考えていることなどの抽象概念を書くようにすれば、思考そのものがネタになるから、困ることはない。多くは、具体的にあったことを抽象的に解釈する、そして、また別の具体的なものと結びつけるように書くといいかもしれない。関係ないものの結びつきを感じられると、それだけで一本の記事になる。

たとえば上記の記事は、楽天がポイント改変をして、ポイントのお得感がなくなった現実世界のニュースを取り上げている。しかし、楽天のプログラムの内容そのものには触れず、そもそもポイント付与とは? という本質(抽象的な内容)に移行している。そうやって、思索を深めているうちに、あっという間に記事になってしまう。

ほかにも、常識に反することについて書くのもいい。常識というのは明文化されていないものが多いが、ふとしたときに「この常識は正しいのか?」と気づくことがある。それについて考えていくと、記事が一本仕上がる。

上記の記事は、「シンプルなものが正しい」という世間一般の常識に異議を唱えたものである。記事を書くのが楽しいのは、文章を書くからというより、何かパズルを解くような感覚でやっているのかもしれない。

よくわからないものがあれば、よくわからない、という感じで書いてみるのもいい。書き終えた頃には、また新しい視点を獲得していることだろう。

上記の記事は、「戦国時代の良さって自分にはわからんな〜」と感じたことがきっかけになっている。しかし、これを書くことによって、逆に自分のなかで戦国時代に対する関心が出てきた。何かに興味をもつのが重要だが、その第一歩は「興味がないこと・嫌いなことを自覚すること」なのかもしれない。

なんか少女マンガみたいですね。

スタジオジブリ「耳をすませば」



このように、ネタというのはいつでもどこでも転がっているものである。少しずつ書いてみることによって、新しい物事を発見できるようになるだろう。


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