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数字を毎日眺めること

毎日、特定の数字の変化を眺めるのが好きだ。

毎日動く数字といえば、たとえば為替や株価などがあるが、どちらもいまのところは自分の生活に縁がないので、それはあまり見ていない。が、中国に住んでいたときは、人民元のレートが自分の貯金に影響するため、毎日見ていた。

クルマを持っていたときは、ガソリン価格も毎日見ていた。毎日見ていると、1円単位での変化に敏感に反応できるようになる。感覚が研ぎ澄まされるというか、「平常ならこれぐらい」という数字がわかってくるので、異常に気付きやすい、ということだろう。スーパーのチラシで価格の良し悪しがわかる主婦と同じことである。

数字を日々見て、その感覚を得る、というのは非常に大事なことだと思う。

いま追いかけるのが楽しい数字は、自分の体重である。あとは、我が家の家計(預金)だ。

年始からダイエットしているのだが、やればやっただけ体重という数値で結果が出るのが楽しい。タニタの体重計を使い、体重だけでなく、体脂肪率や骨格筋率も出して、毎日記録している。

預金は、いわゆるキャッシュフロー的な考え方で、毎日の銀行残高やクレカの使用金額などを出して、「現預金」がいくらあるのかをスプレッドシートで管理している(それとは別で、支出の明細も作ってはいるが)。

なので、いまうちの「現預金」がいくらか、というのは毎日かなり正確に答えられる。クレカの使用金額も含めて、いま我が家に現金がいくらあるのか、きちんと正確に答えられる人は何割ぐらいいるのだろうか。

必要性でいえば、別に毎日把握する必要はないのだろう。しかし、毎日見ているので、数字の感覚が身についている。しっかり把握できている分、余裕が生まれる感じがするのである。

社会人になりたての頃は、お金に無頓着だったというのもあり、自分がいくら貯金を持っているのかよくわかっていなかった。もちろん、たまに銀行に行って、預金をチェックし、金を下すのだけれど、家賃が引かれたり、クレカが引き落とされたりしていて、なんだこんなものか、思ったより少ないな、と思うことがよくあった。

特に、クレカはどれぐらい使用したのか、日々把握していなかったので、毎月請求がやってくると「こんなに何に使ったのか?」と驚くことが多々あった。管理が不十分だと、やってくる告知はいつも突然である。

要は、全く管理していなかった、ということになる。そんなずさんなことではお金なんてたまるわけがなく、貯金は少ないままだった。「貯金」というよりは、「給料の余り」という感覚だった。

いまはスマホのアプリでなんでも確認できるからとてもありがたい。銀行預金はもちろんだし、クレカの使用履歴も見れるので助かる。一番計算が面倒で、履歴が残らないのは現金なので、僕はほとんど現金を使わない生活を送っている。

noteのビュー数などを見るのも結構好きである。毎日動いている数字をみると、その裏でどういう影響があったのか、というのを考えるのもなかなか楽しいものである。

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