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どう嘘をつくか?

現実世界のハッカーが、映画における「ハッキング描写」についてコメントしている動画を見た。

こういう解説動画は面白い。映画の世界はもちろん現実とは違うことはわかってはいるのだけれど、じゃあどういう部分が同じで、どういう部分が違うのか? というのは素人には見抜けない。

ある意味、「空想科学読本」みたいに、フィクションの設定に対してガチでツッコミを入れていくようなものに近いけれど、ハッカーが出てくる作品はファンタジーではなく、一応現代社会を舞台にしているので、「リアリティの度合いがどの程度なのだろうか?」という興味はある。
 
紹介されている映画のサンプルが多いため、いろんなパターンが網羅されている。「これはやっていることは現実的だが、画面は不正確だ」みたいなパターンもあれば、「これはまあまあリアルだ」というパターンもある。「これはどういう評価なのか?」というのを考えながら見てみると面白いかもしれない。

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全体的には、自分が思っていたよりも「荒唐無稽」と評価されている度合いは低かったように思う。「現実でもこういうことは行われているが、インターフェース(画面)が違う」という意見が大半だった。

つまり、映画ではハッキングするシーンでやたらと高速にポップアップが出てきたり、3D処理したりしている映像が出てきたりするけれど、実際にはそんなにたくさんポップアップは出てこないし、3D処理もされていない、と。

つまり、これは「映画ならではの演出」ということで、製作陣もわかっていてやっていることなのだろう。精緻に描こうとしたらどうしても画面が地味になってしまうので、こうした演出は必要になる。つまり、これは「フィクションのために意図的についている嘘」ということになる。

これに似たネタ動画として、「素人が想像するプログラミングと、現実のプログラミング」という動画が好きだ。

あと、エヴァンゲリオンみたいなアニメで、オペレーターが「○○です!」と絶叫する場面とかも、似たようなものを感じる。あんな感じでオペレーターが常に叫んでる職場には勤めたくない。

逆に、リアルな戦争中の司令部の様子ってどんな感じなんだろうな、と思う。

先日、数年ぶりに映画「ジュラシックパーク」を見たが、面白いと思った。「いやいや、それはないでしょ」という無理やりな設定も盛りだくさんなのだが、30年前の作品にもかかわらず、とにかく画面がかっこいいし、臨場感が抜群だ。

細かい「嘘」は、どちらかというとドラマを盛り上げるために「意図的についている」という感じで、「嘘をつくところでは嘘をつく」という方針が、物語に躍動感を与えていると思う。

嘘をつかないと決めてしまうと、「生きている恐竜に襲われる」という全体のプロットに大きな制約がついてしまうので、そのバランス感覚はすごいものがあるな、と。


 
冒頭のハッカーのシーンでもそうだが、リアルであることと「面白そうである」ことは全然違う。

どれだけ描写がリアルでも、作品が面白くなければなんの意味もない。「どう嘘をつくか?」がクリエイターには求められている、ということかもしれない。

道具では嘘をついても、本質を語る。ヒットしているフィクションの作品には、そういう共通点があると思う。

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