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こころと体力

身体を動かすことがかなり減ってしまったので、少し意識的に運動量を増やさないとな、と思っている。

一応、夜はランニングすることにしているけれど、それだけでは足りないような気がする。家での筋トレとかも合わせてやってみるのがいいのかな。

なんか、ジムに行くことにすごく抵抗があったのだけれど、最近は安いジムもたくさんできているし、ためしにやってみるのもいいのかな、なんて思う今日この頃。
 
社会人になってそれなりに経つけれど、僕のそのときどきの時期によってやる仕事がけっこう変わる(配置換えや転職など)。大きく分けると、肉体労働が多い時期と、少ない時期に分けられる。

いまは少ない時期に該当する。少ない、というか、ほぼ全くない。今年の春先ぐらいは、ちょっと事情があって身体を動かすことが多かったのだけれど、早くもちょっと懐かしみを感じている。

身体を動かすのがあまり好きなほうではないので、放っておくと全然身体を動かさなくなってしまう。

趣味でフットサルとか、テニスとかをやっている人はいいのかもしれないけれど、ランニングはけっこう地味で、楽しみはそんなにない。一人で淡々とやれる、という点はいいかもしれないけれど。

ジム通いもそれと似たようなもので、一人で淡々とやるものだから、モチベーションが続くかどうか怪しい。
 
ちょっと前にホリエモンが、YouTubeの動画の中で、「物事の受け取り方は体力によって変わる」というようなことを言っていた。同じ現象が起きても、自分に体力があるかないかで、反応が変わってくる、というのだ。

確かに、気丈だと思っていた人が、病気になったりすると、思っていたよりもはるかに気弱な発言をすることがある。「身体を鍛えればすべてが解決する」とまでは言わないけれど、普段から身体を動かしたり、鍛えたりする習慣をつけることで、心のバランスをとることはできるんじゃないかと思った。

自分のことを引き合いに出すと、春先は身体を動かしていたから、まだポジティブでいられたのかな、と。

最近の脳科学の研究でも、「心と身体」は密接に関係していると言われている。心を鍛えたければ、まずは身体を鍛えろ、と。

なんだかひと昔前のスポ根みたいな感じがしないこともないけれど、あれもある程度は理にかなっていることなのかな、と。
 
シンプルに物事を考えられるといいですね。気分が上向かないのは体力がないからだ、みたいな。

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