野球選手ってサッカーがうまいんですか?
かなり忙しかった。
忙しすぎたので、毎週休まずに収録していたネットラジオも、はじめて休んでしまった。でも、あの選択は正解だったかな、と思う。
いろいろな趣味を同時並行的にやっているけれど、許容量がパンクしそうになったらどれかは休止すべきで、優先順位が自分の中で明確になっていたので、すぐに決断できた。
このブログというかエッセイは死守すべき最終防衛ラインだと思っているので、基本的には続けていくと思うのだけれど。
何をしていたのかというと、補助金の申請をしていた。うちの会社の事業として、政府から新規事業の補助金が受けられるというので、ここ二ヶ月ほどがんばって準備をしていた。
といっても、臨時で設けられた枠だから、そんなに複雑なものではなかったし、求められる資料もそんなに煩雑ではなかったのだが、9割がた自分で準備したので大変だった。
というか、そんなに作業自体はヘヴィではなく、これだけを集中的にやったら、おそらくもっと完璧なものができただろう。問題は、僕の仕事はこれだけではない、という点にあった。
自分の通常の仕事というものがあり、そのほかに炎上中の部下の案件がある。まず、部下の案件を鎮火させるところから仕事がはじまり、ほぼ一日中、それに忙殺されていた。
あらかた片付いたかな、と思ったら、もう定時をすぎている。そこから自分の仕事をやる。
自分の仕事が少し進んだかな? と思ったら、もう九時過ぎ。そこからこの補助金のことをやり出すので、必然的に帰宅は十一時近くになる。
なかなかにハードな日々だった。土日もちょいちょい会社にきてこの仕事を進めていたのだが、誰も話しかけてこないし、電話も鳴らないこの環境は天国か? と思った。
そんな状態でも、とりあえず睡眠時間は6時間確保していたし、エッセイは書いていたし、読書も一日通算で一時間ぐらいはしていたので(通勤往復約45分+夜に30分)、まあ、ジグソーパズルのように、隙間のない日々だった。ぼーっとしている時間は全然なかった。
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さて、補助金である。こういう申請を専門にやる人からしたら、どういうふうにロジックを組むのがいいのか、たちどころにわかるのかもしれないが、申請書類を眺めながら、どういうロジックにするかをまず考えなければならない。
僕も経験はゼロではないが、難しい。でっちあげはもちろんできないものの、やや事実を曲解させて、自分達の主張に近づけていく必要がある。
そういう意味では、小説を書く作業にも似ている。小説と違う点は、なんらかの根拠、エビデンスがいる、という点だ。
「世の中では★★によって◆◆が不足しており、その対応として○○が必要なので、当社の▲▲を新設すれば」みたいな簡単な文章でも、エビデンスがいる。
まず「★★」が起きている事実をあきらかにして、「◆◆」が本当に不足しているかを証明しなければならない。そのため、政府の要請文や業界団体の議事録を読み漁る。
そして、自分たちがお金を使う先にも見積もりをとらなければならないし、どういう影響がそれによって及ぶか、というのも考えねばならない。
小説やエッセイというのは、基本的に僕が考えたことをそのまま無責任にばーっと書いていくだけだから楽だが、こういった申請書などというものはそうはいかない。
森博嗣が、「小説はデータやエビデンスがいらないから超簡単」みたいなことを言っていたが、僕もそう思う。
こういったのは、要するにはコンペだから、「面白さ」もある程度は必要だ。「斬新さ」があり、「問題解決」の視点があり、興味をひかないと、補助金なんておりないからである。
時間がなかったというのもあるが、自分が作ったファーストドラフトはそれなりにお粗末なもので、エビデンスもかなり雑だった。
で、案の定、上長にそれを指摘されたので、あまつさえバカにされて悔しかったので、土日も返上して頑張って、提出した。僕は頑張った。ラジオがそのせいで犠牲になった。
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ひとつ思ったのが、これだけの量の小説やエッセイを書いてきたが、どの程度、「文章力」に貢献しているのか、ということだ。
申請書は、添付書類などを含めると、100枚を超えた。長編小説に匹敵する量である。使う脳みそとしては、小説やエッセイを書くところとかぶる部分もあれば違う部分もある。
しかし、今回の件で、「お役所」に出す文章力は多少は鍛えられたかな、と思う。これが活用される日も遠からずくるだろう。
プロのスポーツ選手だからといって、プロ野球選手がサッカーがうまいとはかぎらない。でも、きっと、素人よりはうまいんだろうな。