見出し画像

ちょっとずつ書く

feedlyというRSSリーダーを昔から愛用している。これは非常に便利なツールで、ウェブサイトを登録しておくと、そのサイトが更新されたタイミングで通知を送ってくれる。

しかし、ここ最近noteとの連携が悪くて、noteで新しい記事が更新されているはずなのに、feedly経由での通知がピタリと止まってしまった。なので、登録してあるアカウントを自主的に覗きにいかないと更新されているかどうかを確かめることができず、ちょっと知り合いの記事を「読みに行く」ことから疎遠になっていた。

でも最近、なぜかこの機能が復活し、noteの更新通知が再び飛んでくるようになった。ありがたい。まあ別に、自分から知り合いのページを訪れればいいだけの話なのだけれど、こういったツールに慣れ親しむと、ついつい機能に頼ってしまい、無精になるものである。
 
僕がnoteを書きはじめて約2年……と思ったが、気づいたら2年以上が過ぎていた。毎日更新するたびに、連続投稿の日付が飛び出してくるが、いまが840日とかなので、少なくとも2年は過ぎている。

noteを最初に更新した日から途切れずに毎日更新しているので、連続投稿の日数イコールnoteをはじめてからの日数ということになる。特に辞める予定もないので、これからも基本的にはこのペースで書き続けるのだろう。

インターネットで文章を書く人は多い。日々、死ぬほどたくさんの記事がnoteやブログサービスに投稿される。

noteはどちらかというと、ブログメディアというよりはSNSの延長のような存在として見られることが多いようだ。noteサービスを支える根底には「人との繋がり」があるようなので、SNS的な性質は強いと言えるだろう。

noteをはじめた当初から付き合いのある人はいるけれど、いまでも更新しているのは自分ぐらいなような感じがする。先述のRSSリーダーに登録している人も、2年前に登録した人はほぼ更新がなく、更新があるのは比較的最近アカウントを作った人ばかりだ。

100日、200日連続で更新する人はそれなりにいるけれど、800日以上連続で更新している人はかなり少数派だ。僕のフォロワーさんで800日以上連続して更新している人が一人いるが、なかなか稀有な存在だといえるだろう。
 
最初は書くことがあっても、書いていくうちにどんどんなくなっていくものらしい。確かに、人間一人の知識や経験などは知れているので、それらを単に文字としてアウトプットしているだけでは、そのうち行き詰まる。

重要なのは飽きないことで、そのとき自分が考えていることを書くのが一番いいと思う。これだけ長くやっていると、読まれる記事、読まれない記事がなんとなくわかってくるが、別に読まれなくても構わないと思ってやることが重要かな、と思う。


 
あと、文字を書いていて感じるのは、人間は複雑なことを考えるのに限度があるということだ。あまりにも複雑なことは、一度では考えられない。

僕の場合、あるテーマで文章を書いて、それと同じことをあとになってから考えると、微妙に結論やプロセスが異なっていたりするので、わずかな前進が感じられる。

毎日だいたい1500字前後を書いているため、一年間で55万字を書いている計算になるが、それだけの量を短期間で書け、と言われても、そんなことは物理的にできないし、書くネタもない。

年に本4冊分ぐらいの分量を書いていても、本を書けるだけのことをあらかじめ考えていたわけではなくて、書きながら考えていたらいつのまにかそれぐらいの分量になってしまった、というだけのことだ。
 
毎日ちょっとずつ考えて、ちょっとずつ書く。いつまでやるかはわからないけれど、可能な限り続けていきたいと思っている。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。