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エンターテイメントの本質は、やってみないとわからない

今年の2月から将棋を指しはじめ、9ヶ月ほどが過ぎた。はじめは「1年で初段を目指す」などと標榜していたが、いかにそのハードルが高いかということが、実際にやってみることでよくわかってきた。

将棋ウォーズというアプリを中心に将棋を指しているのだが、今の棋力は4級で、あと少しで3級にあがれそう、というところである(級は数字が小さくなるほど高くなる。1級の次が初段である)。

何にでも共通して言えることだが、「ここまでやれば初心者の域はある程度脱した」と言えるような領域があり、将棋でいうとそれが初段に該当する。ゴルフでいうとスコア100を切るぐらい、と言われているので、平均すると2〜3年真面目に取り組めばそれなりに達成できるライン、と言えるだろうか。

才能がある人でもそれなりに努力しないと達成できないが、どんな凡人でもある程度の努力を積めば到達できるところ、と言い換えてもいいかもしれない。

実際のところ、将棋が強くなる特効薬はなく、日々の地道な努力の積み重ねである。将棋は相手の玉を「詰ませる」ゲームなので、まず相手の玉を詰ませる形を覚えないと決着がつかない。なので、そのトレーニングとして詰将棋を毎日やっている。

それに加えて、将棋ウォーズによる実戦。実戦が終わったら、棋譜をソフトの分析にかけ、自分がダメな手を指していたところをあぶり出して、何が良い手だったのかをソフトに教えてもらう。毎日がその繰り返しである。

映画や小説、ゲーム、スポーツなど、この世界は無数のエンターテイメントで溢れている。何が一番面白く感じるのかはもちろん人それぞれ違うだろう。しかし、エンターテイメントの根源に迫り、「普遍的な面白さ」は分析すれば追求できるのではないか、と思う。

しかし、将棋の面白さは実際に指してみるまではわからなかったので、これは本質を追求するというよりは、実際にやってみることで面白さに気付いた、というパターンである。実際のところ、とんでもなく面白い。将棋が現代の形になったのはおよそ400年ほど前だと言われるが、その頃から現代に至るまで、消滅しなかったのが面白さを証明している。

これも何度か書いたが、そもそも将棋を始めたきっかけは、藤井聡太がメディアで騒がれ、注目されているが、一体どのようなところが凄いのかというのがわからなかったので、彼の指し手の凄さを理解するためである。

最近は自分で将棋を指さないが、観戦が趣味だという「見る将」という言葉も流行っているが、やはり自分で指してみないと深いところまでは理解できないのではないかと思う。実際にやり始めてみたのだが、これが確かにめちゃくちゃ奥深い。

少し前に将棋ソフトがプロ棋士を打ち負かすような事態になったため、将棋ソフトはどんな人類よりも強いということになり、将棋というエンターテイメントは終わったのではないか、とも言われていたのだが、実際に自分で探ってみるとそんなに簡単なことではないというのが実によくわかった。

何度かここでも書いているが、将棋というゲームは、普通の人が思い描いているよりもはるかに奥が深いのである。将棋の局面の可能性は10の220乗とも言われ、宇宙の原子の数よりも多いと言われている。

最近だと、将棋の中継はAIがリアルタイムで分析していくものが多いが、見ているとすぐに1億手、2億手が解析される。だが、将棋の可能性は10の220乗もあるので、1億とか2億なんてのは問題にならないぐらい小さな数でしかない(1億は、10の8乗である)。

また、こちらが最善の手を指しても相手が最善の手を指すとは限らず、どんどん選択肢が分岐していくため、最終的には誰も知らない、わからないという領域に必ず到達する。どれだけ劣勢にあったとしても、相手の読みにない、間違えやすい勝負手を指すことによって大逆転をするということがプロの世界でも起こりうる。

先日、レジェンド棋士の羽生善治と森内俊之の対局を観戦していたのだが、羽生善治の勝率が10%を切ったところで勝負手を放ち、形勢が大逆転したのを目の当たりにした。確かにベストな手を模索するのはAIの方が得意かもしれないが、AIには「勝負手」という概念はまだ存在しない。そこは、羽生善治の長年の「勝負師」としての経験によって出てきたものだ。コンピューターがいくら解析したとしてもまだまだ奥深いと思ったのである。



エンターテイメントの本質を考えることも面白いが、やはり理屈から入るよりも、実際にやってみて、「面白い!」と感じたことを、「なぜ面白いのだろうか?」と考えるほうが近道なのではないかと思う。

その意味では、現代に残っている全てのエンターテイメントが、なんらかの形で「面白い!」という要素をもっていることになる。それらは、実際に自分でやってみないと、なかなかわからないものなのだろう。

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