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消費することに情熱を注げるか?

FIREという言葉があるらしい。火、という意味ももちろんあるが、Financial Independence, Retire Early(経済的に自立して、早期にリタイアする)の頭文字という意味もあるようだ。

アーリーリタイアとか、セミリタイアとか言い方はいろいろあるが、「それなりの資産をゲットしたので、もう労働者階級は卒業して、現役は引退しましたよ」という人たちを指す言葉のようだ。どういう人がそういうのに当たるのかはわからないが、株で生涯分を稼ぎ切ってしまった人とか、外資の投資銀行に勤めて億単位の貯金を作ったとか、そういう人になるのだろうか。
 
僕にとって、アーリーリタイアにはなんの魅力もない。まず、絶対にボケるだろうな、というの率直な感想だ。ボケというのは、もちろん高齢者における問題ではあるが、若い人でも、何もしなければけっこう簡単にボケてしまうのではないか、と思う。

これまでの人生でも、それなりにヒマな時期というものはあったが、どれもあまり「いい思い出」としてはインプットされていない。毎日、特にこれといったイベントも起きないので、記憶に残ることが少なく、日々の経過がものすごく早く、あっという間に月日が経ってしまう。そうした「時の加速」が怖いぐらいだった。
 
そうした「ボケ」を最大に防止できるのが、仕事をすることだろう。なぜなら、仕事をするのが一番「頭を使う」ことになるからだ。成長ややりがい、なんていう言葉がしっくりこないのであれば、「ボケ防止」のために仕事をしていると考えてみてはどうか。

人生は壮大な暇つぶし、という言葉があるが、仕事はボケ防止のためにやる、と捉え直すこともできる。


 
また、これは個人的な感覚になるけれど、人は「消費すること」に対して、なかなかそこまでの情熱は注げないような気がする。お金がたくさんあって、使い切ることを考えたとき、それに対してそこまで情熱的になれるのか、と。

たとえば世界一周のクルーズに行って、それなりに大きな豪邸を買ったら、それぐらいで満足してしまうような気がする。何より、「お金を使い切るのは難しい」ぐらい金持ちになっても、使おうと思えばそれなりに使えるものなので、「難易度の低さ」がやっぱりネックになるかもしれない。

きっと、そういう状態になったとしても、僕は文章を書くのだろうし、たぶん何かしらを作り続けるのだろう。仕事だって続けているかもしれない。「消費」ではなく、「生産活動」や「課題解決」のほうが情熱を注げるような気がするのだ。


 
結構、そういうことを総合的に考えていくと、いまのままが一番いいな、という結論になるのである。

FIREを希望している人は、最終的にはどういうことがやりたいのでしょうか?

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