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やり始めるとバカになる

外からだとものすごく気になるのに、中に入るととたんに見えにくくなってしまうものがある。

僕は年始に転職活動を開始して、いま入社できた会社の面接をウェブ面接で受けた。ありがたいことに、「スカウト」といって、採用したい企業側から直接アプローチしてもらえる方法があって、それ経由で面接を受けることになったのだ。一次面接の面接官は、その企業のCOO(最高執行責任者)だった(あとから聞いたら、これはかなり異例だ、とのことだった)。
 
僕は正直なところ、その事業の事業リスクをある程度感じていたので、質問を求められたときに率直にそう質問をした。「この事業そのものがなくなってしまったらどうするんですか?」と。

もちろん、会社の柱である事業が消滅してしまうことは相当な危機であると思われるので、事前に訊いておくのは当然のことだった。しかし、そこはさすがに幹部役員だけはあって、「こうするプランがある」というのをかいつまんで説明してくれた。

そのときにしてもらった説明がとても合理的だったので、僕はその会社に行く理由のひとつになった。


 
ただ、あの段階では確かに至極真っ当な質問だったと思うのだが、いざ会社に入ってみると、そういう感覚を持ち続けるのはけっこう難しいのかもな、と思った。

というのも、実際に会社に入っていろいろな業務の情報に触れていくと、その仕事自体が「なくなる」という発想がもてなくなるのだ。当然ながら、事業には競合他社がいて、シェアを取り合いながら切磋琢磨している。もちろん、利益率を上げるためにコストを削減することにも余念がない。

競合にしてやられることはあったとしても、「市場そのものが、まるごと全部なくなる」というのは、渦中にいるとなかなか想像ができない。なぜなら、目の前に仕事があり、そこで働く仲間たちや、ライバル企業が存在しているからだ。
 
もちろん仕事をするということは、目の前にある課題を解決することだ。課題はどれも一筋縄ではいかないものばかりなので、あちこちをキョロキョロ見ながら、いつの間にか達成できる、というようなものではない。文字通り、全身全霊で「集中」しなければならない。

でも、その「集中」が、客観的な視点をにぶらせることもある。最初に感じた「素朴な疑問」が、じつは確信を突いている、ということは往々にしてあるのかもしれない。
 
大学生の頃、山梨の田舎で自動車免許を取得したときのことを思い出した。僕は免許は合宿で集中的に取ったので、比較的短期間で取れたほうだと思う。当然、免許をとるまでは車を運転したことなどなかったので、最初は運転をすること自体が恐怖だった。はじめて公道に出た時の恐さはいまでも覚えている。

ちょっとでもハンドルを切れば、人を殺すこともできるし、自分を殺すこともできる。それは間違いなくそのとおりなので、そのときに感じた「恐怖」はまさに本物だと言える。しかし、不思議なことに、運転に慣れてくると、だんだんそのことを忘れてしまうのだ。いまでは、車を運転する、ということに恐怖を感じることは、ほぼ全くといっていいほどない。

もちろん、その状態がいいことだ、とは全く思わない。ある意味では、「バカになった」と言ってもいいような状況だと思う。


 
仕事をするためには目の前のことに集中することも必要だけれど、たまには集中を解いて、広い視点でものをみることも必要なのかもしれない。それは物理的な範囲でもいいし、時間的なスパンでも構わない。
 
そして、できれば、何かをやる「前」に、今自分が考えていることを記録しておくといいかもしれない。やりだした「後」から、それを思い出そうとするのは難しいかもしれないから。

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