見出し画像

自分は無礼な人間かもしれない

確かミシェル・フーコーだったと思うのだけれど、「権力の正体」について書いた人がいる。「権力というのは、勝手に人々が権力だと信じているが、実際には、実態のないものなのだ」と。

つまり、「権威のある人」に権威があるのではなく、こちらが勝手に「権威がある」と「思い込んで」いるから、「権力が機能」してしまうのだ、と(記憶頼りにググったけどよくわからなかった。きわめてあやふやなので、話半分に聞いてください)。
 
漫画「ワンピース」を最近は読んでいないのだけれど、学生の頃はよく読んでいた。少年ジャンプで連載されていた(今もされているけど)作品だけれど、長期連載だけあってスケールが非常に大きくて、必然的に(作中世界での)政治的な話なんかも出てくる。

作中世界における超大物に対して、主人公のルフィは、「おいお前!」みたいな感じで、かなりフランクに接する。現実世界にそんな人がいたら、無礼者として排除されるだけなのだが、読者としてそういうやりとりを読んでいると、ちょっと胸がスカッとするのも確かだ。

ルフィは権力を権力と信じず、「自分の価値基準」で「人間を見よう」としている。もちろん、傍若無人に振る舞っているわけじゃなくて、「いい人だ」と思えば、たとえ身分の低い人でも、リスペクトしている。

その感じが、一般的な庶民にとっては妙に心地いいのだろう。おそらくは、それは時代を超えた感覚のはずだ。

僕はよく上司から「偉そうにするな」と注意された。はたから見ていると、妙に上から目線で偉そうなのでなんとかしろ、というのだ。

まあ、このブログを読み続けている人はなんとなくわかると思うのだけれど、こういうことをいつも考えて生きている人間で、無遠慮な発言をすることもあるので、人によっては無礼に見えるらしい。

もちろん最低限の礼儀や、社会人としてのマナーには気は使うけれど、必要以上にへりくだることはない。それが上司にとっては尊大に見えるのだと思う。

でも、僕は(自分では)上からいっているつもりはない。わりと、どの人についても対等の目線のつもりである。直截的な物言いをすることがあるので上からいっているように見えるかもしれないが、上からではない。「対等の目線」で言っているつもりだ(その「対等さ」が横柄に見えるのかもしれないが)。

それに、相手の人間性は見ているつもりなので、プライドの高い人間であれば、変にプライドを刺激しないように注意はしている。そういう人に対しては、極端に口数が少なくなるのだけれど。
 
会社を辞めるので、あちこちに退職の挨拶の電話をしている。わりと取引先などにとっても青天の霹靂というか、突然のことなのでポカンとしている人が多いのだが、個人用の携帯番号を教えてくれて、退職後も連絡をください、と言ってくれる人も多い。

なかには、二回りぐらい年上の社長だったりする人もいるが、そういう人も、個人用の番号を教えてくれて、「取引先」あらため「友人」になった。そして、自分が思っていたよりも、そういう関係を望んでくれる人が多いのはとても嬉しかった。

そしてそれは、「対等に」接してきたから、仕事を離れても、「対等な」付き合いを望んでくれている、と思うのだ。

さすがにルフィみたいに「おいお前!」と言ったりはしないが、たぶん自分も似たようなところがあるのだろう。

……このことについて、多少は反省もこめて考えたことがあるのだが、これまでの経験から、「自分らしく」生きるのが、自分にとっては一番うまくいくことだと知っている。
 
「権力を信じる人」にとって、自分は無礼な人間なのかもしれない。でも、できれば、権力ではなくて、「人間として」接したいのである。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。