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地獄のアカウントについて

「裏アカウント」、通称「裏アカ」という概念がある。ツイッターやインスタグラムなどのSNSにおいて、正規のアカウントとは別で、自分の本音とかを言いたい放題に垂れ流すアカウントのことだ。

「表」の自分に対する「裏」の自分。違うペルソナ。なんか中二病みたいですが。
 
裏アカウントはひとつとは限らず、無数に作っている人もいる。僕の知る範囲では、15ぐらい持っている人がいた。15ともなるとさすがに管理しきれないと素人ながら思うのだが、それぞれちゃんと使い分けていて、定期的にツイートもしているらしい。すごいな。
 
僕は裏アカウントを持ったことがない。Twitterのアカウントは10年ぐらい前に作ったものだが、運用しているのはこのアカウントだけだ。知られたら困るようなことも入っているかもしれないが、基本的には誰が見ても問題ないようになっていると思う。その気になって探せば、まずいものも出てくるかもしれないけれど。

ある時、知り合いの裏アカウントを偶然発見してしまったことがある。もちろん、こちらからフォローはしていないが、その存在を知っている。数ヶ月に一回、そのアカウントの生存確認をするのだが、恨みつらみ、自分がどれだけ不遇な立場なのかを淡々と書いていて、読むとびっくりしてしまう。この世の地獄みたいなアカウントなのだ。
 
逆に、表のほうのアカウントにはそういったネガティブな事は全然書かれていないので、そうやって裏のアカウントで吐き出すことで精神のバランスをとっているのだろう。

逆に、この裏アカウントをフォローしてるごく少数の人々は、こんな地獄みたいなアカウントをどういう気持ちで眺めているのかよくわからない(ちなみに、「鍵」はついていない)。リプライなどをみるに、現実世界の知り合いのようなのだけれど。
 
僕は割と普通に本音を言うタイプなので、裏のアカウントを作る必要はないのかもしれない。本音を言うと気持ちが楽になる。例えば、自分が緊張しているなと思ったら、緊張しているということを言葉に出したほうがいい。

大勢の前で喋る機会があったとしたら、一生懸命緊張を解こうと普通の人は考えるかもしれないが、何をやっても緊張が解けない場合は、緊張していることを普通に喋って、ちょっとした笑いでもとったほうがいい。
 
緊張してないと自分で無理して思い込んだり、緊張してない風を装うのは結構つらい。100%の本音を話す必要はないが、少しの本音を混ぜると人はそれだけで親近感を覚えてくれるものだ。

本音を言わない人は怖い。職場にも、本音を言わない人がいる。いつも、少し間接的に自分の意見を言うのだが、それが自分の意見だとは決して言わない。

「私はいいんだけど、周りの人はそれでいいんでしょうか」みたいに、婉曲に言う。なんともアジア的、日本人的で、扱いが難しい。堂々と「私の意見です」と言ってくれたほうが話が早いし、解決に向かうと思うのだけれど。どうも、自分の意見を言うことが嫌らしい。
 
裏アカウントってストレス解消になるかもしれないけど、そこで言っても基本的に伝わらないので、逆に現実世界がこじれてしまうような気がするのは気のせいですかね。言いたい事は、言いたい人に素直に言うのが一番だと、個人的には思うのですが。

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