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印刷してますか?

パンデミックもきっかけのひとつではあるのだけれど、リモートで仕事をすることが増えた。

パソコンは、会社ではノートパソコンを使っていたので、家で仕事するときはそれを持ち帰って使っている。

家にはそこそこ大きめの外部ディスプレイもあるので、そこそこ快適だ。むしろ、自宅のデスクのほうが会社のデスクよりも大きいので、仕事をするうえではそれほどの障害を感じていない。
 
障害らしい障害を感じるとすれば、プリンターがないことだろうか。昔は自分のプリンターを持っていたのだが、とっくに手放してしまった。

自宅で印刷してもそこまで綺麗に印刷できないし、時間はかかるし、インク代は高いので、メリットが少ない。少量の印刷ならコンビニで事足りる、ということもある。

しかし、わざわざ印刷のためにコンビニに行くのも面倒なので、基本的には画面でのチェックですましてしまう。

画面でチェックするぶんには問題ないと思えた文章も、印刷して確認してみるととんでもないミスが隠れていたりする。

誰でもそういう経験はあると思うのだけれど、それは科学的にどうやら事実らしい。紙に印刷された文章は、光がまず紙にあたり、それが反射されてから目に届くので「反射光」と呼ばれる。

一方で、パソコンの場合は、ディスプレイから直接光が出ていて、それが目に届くので、「透過光」と呼ばれるらしい。反射光で入ってきた情報は、人間は「分析モード」で読むことができるが、透過光で入ってきた情報は、人間は「パターン認識モード」と言って、細かい部分を無視しながら全体を把握しようと読むようになってしまうようだ。

ディスプレイから直接注がれる光によって、細かい部分に集中できなくなるらしいのだ。脳がそうなっているんだから、仕方ない。
 
確かに、パソコンのディスプレイをじっと見つめていると目がチカチカしてくる。同じ箇所をじっと見つめ続けるのはけっこうしんどいし、長時間やっているとドライアイの心配もある。

紙に印刷してからなら、そんな心配もないというわけだ。

僕はかなりのうっかり者なので、ケアレスミスがとにかく多い。

文章も、一回も印刷せずにチェックせずに公開するのはかなり心許無い(まあ、ここで公開している文章は、いつも印刷などせず、ぶっつけ本番なのだけれど……)。社内で公開する議事録なども、いったん印刷して朱書きで校正する、ということを2回ぐらい繰り返したりする。

不思議なもので、印刷して朱書きするたびによくなるので、よい文章を書くためには必須の行為となっている。
 
この適当に書いているブログも、印刷して修正してみたら、ぐっとレベルがあがったりして……。もしそうなら、年間でどれだけの量を印刷しなきゃならないんだか。

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