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「できないこと」が、その人の可能性を広げていく

Apple創業者の故・スティーブジョブズ氏は今でも人気がある。Appleの業績が絶頂のときに亡くなったため、ある意味では輝きを永遠に失わない、「神」に近い存在になった。現代の経営者でも、ジョブズのことに言及する人は多い。
 
だが、ジョブズにはさまざまな評価がある。その中でも強いのが、「彼は技術のことがわからない、単なるマーケターにすぎない」という評価だ。

もともと、彼はエンジニアであるスティーブ・ウォズニアックと一緒に会社を興した。最初のヒット商品はAppleⅡというパソコンだが、これはウォズが作り上げたものをただ単に高い値段で売りさばいただけだ、という批判がある。

Appleの熱狂的なファンは昔からいるが、初期のファンは、技術屋のウォズのほうを支持する傾向にあるようだ。少なくとも、Appleの黎明期は、ジョブズの人気はさほどでもなかった。


 
ジョブズのカリスマ性を不動のものにしたのは、卓抜した「デザインの力」だった。ジョブズが手がけたApple製品はどれもスタイリッシュで、カルト的な人気を呼んでいる。

でも、もしかすると、ジョブズは技術のことがわからなかったから、デザインぐらいしか口が出せるものがなかったのかもしれない。しかし、それがAppleに対する世界的な評価に繋がり、その後の製品や文化をドライブする原動力になった。
 
ジョブズを単なる金儲け主義のマーケターとするのは誤りで、ジョブズはけっこう不採算で、金儲けだけを考えていたら作らなかったであろう製品もたくさん作っている(ヒット作を連発しはじめた頃のAppleも、製造ラインがめちゃくちゃで、大量の不良在庫を抱えていたのを、現CEOのティム・クックがサプライチェーンを整備し直し、収益を産む体質に変えた、というのがある)。現に、会社を潰しそうになったり、自ら創業したAppleを追い出されたりと、それほど順調ではなかった。

もし、市場に迎合する「儲け至上主義の会社」だったとしたら、たぶんこうした成功はなかったことだろう。ハードウェアなんてリスクの高いことはせず、ソフトウェアの会社になり、もっと無個性な会社になっていたはずだ。
 
ジョブズが本当に頭角を現したのは、一度Appleを追放され、その後戻ってきてからだったりする。復帰後は、iPodなどにはじまり、いまでも日常的に目にする製品を次々に作り出して世に送り出していった。

いまでは時価総額で世界一の会社になっているのに、主力製品を誰もがイメージでき、実際にそれで稼いでいるのだから、いかにそのプロダクトのもつ力が大きいのかがわかる。


 
ジョブズの成功を表面的に解釈していると、判断を誤ることがある。つまり、ジョブズは自分が「できないこと」、「できること」を徹底的に突き詰めたのではないか、ということだ。もしかしたら、Appleを追放されたあと、自分の存在意義について、徹底的に突き詰めて考えたのかもしれない。
 
デザインが優れているのではなく、それしかなかったのだ、とする見方もある。もちろん、すべては結果論にすぎないし、ジョブズの真似事をしたところで、彼のように成功できるはずがないのだが、一考の余地はある。

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