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未来は完全に読み切れるのか?
人間をはるかに凌駕する強さの将棋AIができてしばらくたつ。
ほんの10年ほど前は、「コンピュータはプロ棋士に勝てるのか?」みたいなことが人々の注目の的だったわけだけれど、いまではもう完全に人間はAIには勝てない、というのは周知の事実になっている。
しかし、まだプロ棋士がコンピュータよりも強かった時代、「コンピュータに人間が勝てなくなったら、ゲームとしての将棋はもう終わりなのでは」ということがよく言われた。
しかし、いまは藤井聡太竜王を筆頭にして、将棋は空前絶後の大ブームになっている。これはひとえに、「人間がAIに勝てなくなったことと、ゲームとしての将棋の面白さは全く別のものだ」ということが証明されたのではないか、と思う。
もう人間では完全に勝てないほどAIは強くなったのだが、では、「将棋というゲームは完全に解明されたのか?」というと、もちろん違う。
以前にも紹介したことがあるが、「将棋の奥深さ」は、普通の人が考えるよりも、はるかにでたらめに奥深い。将棋において存在可能な局面は10の226乗ともいわれ、想像を絶する途方もない数である。
宇宙に存在する原子の数が10の100乗とも言われているので、それよりも比較にならないほど大きいという、途轍もない数である。いまの最先端のスーパーコンピューターで、宇宙の終わりまで計算し続けても読み切れない、と言われている。
最近の将棋の中継では、AIによる候補手が表示されるのだが、すさまじい勢いで手を読み込んでいく。ほんの数秒で1億手を読み、あっという間に10億手、100億手と読んでいく。
人間の感覚からすると、100手、200手を読むのも大変なことなので、すさまじい数に思えるが、それにしたところで、10の226乗から比較すると、ごくごくわずかな数である。
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これを友人に話したところ、「シンプルなものほど奥深いのかな」と言っていた。それについて考えてみたのだが、これは少し違うと思う。将棋はやはりシンプルなゲームであり、組み合わせの数も限られている。
問題は、「これほどまでにシンプルなゲームでも、すべてのパターンを完全に掌握するのは不可能なぐらい複雑である」とみるべきだろう。 シンプルであるがゆえに、完全に予測できそうな気がする分、そのギャップを感じやすい、というだけのことだ。
未来はある程度は予測可能だが、この現象を観察するに、現実世界というのは思っていた以上に予測不可能なのかもしれない。現に、未来予測を専門とする人々のいうことはたいてい当たらない。経済予測、コロナの予測、かなりおおざっぱな予測すらままならない。
もっとも、「細かい点は予測できないが、この点に関しては手がたい」といったようなことが言えるだけでも、違うのかもしれないが。しかし、コロナの予測においては、それすらも外しているように見える。
ただ、ここで浮かび上がってくるのは、また別の問題である。いまはAIブームで、AIを推し進めることが人類の発展に寄与すると信じて疑わないが、どこまでいっても「未来は完全にシミュレートし、予測できるようになる」ようになるわけではない、ということだ。
人間の予測能力を超えるのは簡単で、すでに部分的には実現している。ただ、完全に掌握するのは不可能である。
また、人間と違って、AIは論理的にものを考えるわけではないので、出した結論の根拠がよくわからない、ということになるはずだ。
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出した結論の根拠が説明できないのに、かつ、完全には当たらないと、結局何もわからないという、黒魔術のようなことになってしまうかもしれない。「AIが出した結論なんだから、根拠はよくわからないけど、とにかく信じるしかないんだ」というのは、古代に戻ってしまったような感じすら受ける。どちらかというと、しっかりと自分で考え、根拠を示すことができたほうがいいのでは、と思うのである。
将棋AIを通じて考えたのは、そのようなことである。
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