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ニーズとおばけ

大学生のとき、ディスカウントショップでバイトをしていた。その店では、半年に一回ぐらいの頻度で「売り場変更」というのをやっていた。簡単にいうと、プチ改装みたいなもので、数日かけて売り場のレイアウトを変える作業のことだ。

僕の売り場はゴルフやカー用品などを取り扱っていたのだけれど、「売り場変更」になると、売り場をレイアウトごと変更してしまうので、かなりの重労働で、その時期がくるのが憂鬱だった。当然ながら、陳列している商品をすべていったんどこかに動かして、什器を入れ替えるので、とにかく力仕事になるのだ。社員はもちろん、バイトや、納入業者まで総動員しての作業が連日続くようなありさまだった。
 
そんなとき、バイトの後輩がぽつりと言った。「売り場変更って、何度もやってるけど、なんで何回もやるんですかね?」と。「最強の売り場を作って、それで永遠に固定しておいたらいいじゃないですか」と言うのだ。
 
まあ確かに、一番売れる最強のレイアウトというのがもしあれば、それで固定しておけばいいのかもしれない。でも、現実には「一番売れる最強のレイアウト」なんて誰にもわからない。

また、「時間」という要素がある。客のニーズや、商品自体も、時代に合わせてどんどん変化していくのだから、それにフィットさせることが必要だろう。だから、なんとなく、「そんなのはないんじゃね?」的なことを言ったのだが、それで納得したのか、その会話はいったんそこで終了した。


 
しかし、これは「客のニーズ」というものを考える上では、非常に象徴的な出来事だった。確かに、「よく売れるレイアウト」という「ひとつの正解」はあるのかもしれない。

でも、ニーズというのは移り変わっていくので、「正解」も移り変わっていく。「どんな状況でも通用する、絶対的な正解」というのは存在しないのだろう。
 
最近、転職した先の会社で、とある人が「ニーズ」に関して面白いことを言っていた。いわく、客というのは「期待」はするけれども、「正解」は持っていない、と。「こういうふうなものがあったら欲しい」とみんな口ではいろいろ言うけれども、実際にそういうものがあったとしても、現実には売れない。

ニーズというのは、客が「こういうのがあったらいいな」というものも当然あるけれども、思いもよらない「驚き」がニーズである場合もあるのだ、と。確かに、自分も買い物をしたりするとき、「こういうのが欲しい」と明確になっているものも買うけれど、「こんなの思いつきもしなかったな」と、全く予想もしていなかったアイデアのものを買いたい、と思うことがある。出してみるまでわからないニーズ、というものもあるのだ。

アニメや漫画、アイドル、なんでもそうだけれど、「こういうのが好きでしょ? 買うでしょ?」みたいな態度で売り出される「あざとい」ものはそれほど売れない。「え、こういうのもありなの?」という、意外なものが大当たりしたりする。


 
ニーズを正確につかむことが大切だといいつつ、ニーズとはお化けのようなもので、実体がないし、突然生まれたり消えたりもする。それに翻弄されることもあるけれど、同時に「絶対的な正解に到達してしまう」こともなく、いろんなアプローチが考えられるから、追求しても決して飽きないだろう、と思う。
 
「ニーズを追求する」というと、イメージとしてはかなり画一的な、優等生的なものをイメージしてしまうのだけれど、「破天荒にニーズを満たす」ということもまたあるわけで。冒頭の、レイアウトの例でいうと、ドン・キホーテみたいに、一見するとぐちゃぐちゃにレイアウトすることが正しい、ということも起こりうるのだ。
 
ニーズに応える、ということだけでも、相当奥深いということ。僕の文章は、ニーズに応えられていますか?

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