見出し画像

ルーツとは、「文化的に」継承されたもの

先日、イギリスの女王・エリザベス女王が崩御された。ニュースは世界中を駆け巡り、世界中の人々が喪に服している。日本でも献花台が設けられ、連日さまざまな人々が訪れたという。

現代では王家が政治的に国を統治しているところはほとんどないが、象徴という形でも王家が存在している国は限られている。

日本においては、王家のような存在として天皇家がおられる。そのことは、日本国民全員が認識していることだろう。

一方、天皇陛下は国家元首のような立ち位置なので、「日本国民」ではない。単に法律やシステム上の問題ではあるものの、日本国民でないのならば、一体「誰」なのか? ということを考えると、だんだん不思議な気分になってくる。

天皇家はパスポートも戸籍もない、というのは有名な話である。もちろん、パスポートや戸籍は、便宜上、社会にそういったものがあると便利だから、ということで作られたシステムにすぎないのだけれど、現代社会において、そのシステムから外れた人がいる、というのがなんだか不思議な気分になるのである。

もちろん、生物学上の観点では、私たちとなんら変わりはないと思うのだけれど、ルーツをたどっていくと、だんだんと超常的な世界に突入していく、というのが不思議な気分になる要因のひとつだろう。

古代の日本についてまとめた「古事記」などを読むと、初代天皇の神武天皇という人物がおり、さらにルーツを辿っていくと、天照大神アマテラスオオミカミ伊邪那岐命イザナキノミコトなどに行き着く。そこまでいくともう完全に実在した人間ではなく、神話上の神になってしまう。

そもそも、初代天皇の神武天皇においても、本当に実在した人物なのか、それとも想像上の人物なのか、諸説あるらしく、実在しなかったのではないか、という説が有力だという話もある。要するに、たったの1500年ぐらいの歴史であっても、ルーツはよくわからない、結構曖昧な世界に突入するのである。

もちろん、それを自分に置き換えてみても、全く同じことが言える。自分は一体どこの誰なのか? 

自分が会ったことのある祖先は祖父止まりで、曽祖父ですら自分は会ったことがない。そこから先になると、もはや全く未知の世界で、全然わからない。

神武天皇が想像上の人物だということにしても、天皇家はたぶん1000年ぐらいはほぼ正確なルーツがわかっているわけで、それだけでも一般人とは全然違う。なにせ、自分は5代、6代先でも怪しいのだから。

そもそも、「ルーツをたどる」ということ自体が、非常に難しい話になってくる。世代を1つ遡っていくと、ルーツが2倍になっていくからである。自分の両親は2人だが、祖父母になると4人。曽祖父母になると8人、と倍々ゲームで増えていく。

ひと世代をザックリ30年と考えても、1000年を遡ると、約33世代ということになり、2の33乗=約86億人ということになる。1000年前まで遡ると、自分の先祖は86億人もいるということだ。

この数字は非常に大きいため、本当にそうなの? とびっくりするのだが、ヒトは必ずワンペアの男女から生まれるわけだから、この86億人はなんらかの形で存在していることになる(もちろん、重複もかなりしているのだろう)。

つまり、「ルーツ」というのは、わかるようでわからない話なのである。一定以上の過去になると、ルーツの数は膨大になる上、記録も残っていないので、全くわからなくなる。これを読んでいるあなたも、実は天皇家のルーツがある「可能性」だけで考えると、それなりにあるということがわかるだろう。

じつは、誰から生まれたとか、遺伝子がどうとかいうのは、たいして重要ではないのでは、ということも思う。たとえば、タイムマシンを使って室町時代の自分の祖先に会いに行き、会話をしたとしても、親近感を感じる可能性はあまりないだろう。生きている時代が違うので、感覚も全く異なるはずだからだ。

それよりはむしろ、2020年代の「現代」に生きている、全くの赤の他人のほうが、より親近感を感じるのは間違いない。

ヒトは遺伝子によっていろいろなものを継承しているように見えて、じつは文化的なものから継承しているもののほうが大きいのではないだろうか。僕は現代に生きているので、現代的なものの考え方をする。ルーツうんぬんよりも、自分を自分たらしめているのは、「この時代に生きているから」というのが大きいような気がするのだ。

もちろん、王家や天皇家が存在し、象徴としてその立場におわすことは、「全員がそうだと認識している」ことが何より重要かな、と思うのである。実際のところ、「ルーツ」というのは、生物学的な話ではなく、文化的に「継承していく」ものなのかな、と。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。