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高学歴は就職に有利なのか?

以前、noteで就職活動をされている方の記事を読んだことがある。その人は世間一般で言うところの「高学歴」に属する人だったので、就職活動に挑む前は、自分はわりと余裕なのでは……と思っていたらしい。

ところが、実際に就職活動がはじまると、なかなか思うようにいかない。書類選考には問題なく通るものの、その後の面接などの選考で弾かれてしまうのだそうだ。

曰く、書類選考に通ったとしても、実際に内定を得るところまで行かなければ意味がないので、学歴なんて武器にもならないのだ……、ということである。確かにそれはそうかもしれない。

それに対して、思うことがふたつある。

まず、そもそも書類選考が通るだけ良いではないか、という考え方だ。誰もが名前を知るような有名企業であれば、限られた人員で選考を進めるために、まず書類の段階で「足切り」をしなければならない。なので、ある程度の学歴がなければ、そもそも「受ける」ことさえできない、というのが現状である。

なので、そもそも「受けられる」だけいいではないか、という考え方である。とりあえずチャンスは与えられ、最初の関門は突破できるのだから、その後の対策に集中できる、というわけだ。

もうひとつは、もし仮に大学を「いい企業に就職するための足掛かり」とするなら、そもそも大学選びの段階からリソースの割り振りが間違っていたのではないか、ということだ。つまり、いい大学を出たとしても、それが「足切り」を突破できる要素にしかならないのであれば、そこまでいい大学を出る必要はなかったのではないか、ということである(実際には、大学は就職するための機関ではないので、いい大学を出ることに意味はあると思うが)。

完全にコスパ重視で割り切れば、「このあたりの大学が一番効率がいい」というところもきっとあったはずだ。受験勉強に割り振る時間や労力というのも、馬鹿にはならないので。

企業が選考に活用しているぐらいなので、この手の「足切り」の考え方はそれなりに使える。例えば、僕は読書をするときの選書はこの考え方を採用している。

読書メーターというアプリを使って読書の記録をつけているが、その本にどれぐらいの感想がついているかを見ることができる。それがひとつの「本の人気度合い」を測る指標になっている。

マイナーな書籍であれば、それこそ10、20ぐらいしか感想がついていなかったりするのだが、人気の書籍となれば100、200ぐらいの感想がついている。なので、選書のときにはこの数字が参考になる。

ところが、ベストセラー本などになると、この数字が一変する。1000、2000などはざらで、村上春樹の作品などになると5万ぐらいついていたりするのだ。

確かに、村上春樹の本はそのへんの小説家の本よりも売れているだろうが、しかし感想が5万ついているからといって、感想が100の本の500倍面白いわけではない。それだけ名前が売れているというだけだ。

なので、このあたりになると、あまり数字としてはあてにならない、ということになる。

とはいえ、感想が10しかついていない本よりは、100の本のほうが面白い確率が高い。なので、感想の数を並べるのではなく、シンプルに「100」あたりをひとつの区切りとして「足切り」するのが効率が良い(その区切りとして100が適正かどうかは別の問題だが)。

数字は嘘をつかないので、数字を見てものを判断しないのは愚の骨頂だが、数字だけで物事を判断するのもまた愚の骨頂である。大きすぎる数字には意味がないことが多いが、小さすぎる数字にはきっと意味がある。

同じように、ランキングで物事を判断するのも愚の骨頂だと思う。世にあるランキングというのは単なる「人気投票」であり、「長いものに巻かれろ精神」で選ばれたものが大半であると思う。「人気があるものは、世間で人気があるとされているもの」なのだ。

なので、ランキング1位と5位に質的に何か大きな差があるわけではない。このあたりは、単に「人気だから」という理由で支持せず、中身をしっかり見て、自分で判断していくことが必要である。

本当に自分が気に入ったものは、自分の目で探すしかないが、何も条件をつけないとかなり工数が増えてしまう。企業が行う新卒採用も、もちろん学歴なども重視するだろうが、最終的にはスペックでは計れない「掘り出し物」を探している。東大主席が必ずしも欲しいわけではなく、伸びしろのありそうな人材を探しているのだ。

そういう意味では、冒頭の「高学歴」というのは、フィルターを突破する意味はあるかもしれないが、確かに就職活動としてはそれ以上の意味はない、ともいえる。そういうことに気づけただけでも、大人になる第一歩としては悪くはないのではないだろうか。

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