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壁について

しばらく仕事が忙しかった。

でも、ひとつやるべきことが片付いたので、ちょっとだけ、精神的に余裕ができた感じがする。それなりにうまくやっているつもりでも、いまの状況はなかなかに厳しい。

それでも、乗り越えるべき「壁」の時期なんだろうな、と思う。
 
仕事でもなんでもいいんだけど、「壁」にあたらない人っているんだろうか、とふと考えた。

経営学の概念で、「ピーターの法則」(ローレンス・J・ピーター提唱)というものがある。能力主義の階層社会では、人は能力の限界まで出世する。みんな、基本的には自分の能力の限界まで出世するので、やがて、無能な管理職になる、というものだ。

最初から平社員で、出世が見込めない場合は、平社員で終わる。その組織の任務は、出世の余地のある社員によって遂行される、というものだ。
 
これはある意味では真実のような気がする。社会人になって10年ほど経つけれど、仕事が大変ではなかった時期はない。

それぞれのステージで「壁」が用意されていて、それを乗り越えたらまた次の壁がある。少年ジャンプで、ひとりの敵を倒したらまた次の敵が出てくるようなもので、基本的に終わりはない。

いや、最終的に、「乗り越えられない壁」が出てきたら、それが終わりなのかもしれないけど。

一番楽な時期というのは、与えられた仕事が問題なくこなせるようになった頃合いかもしれない。

でも、そつなくこなすようになれば、上部の人間が「あいつはけっこうできるやつだから、もっと上のステージで頑張ってもらおう」と引き上げにかかる。

それは間違いない。なんせ、自分もそういうことをやっているからだ。
 
上り詰めても、基本的に終わりはない。永遠に成長し続けないといけない。日本の経営者でトップクラスの人たちといえば、トヨタ自動車の豊田章男とか、ユニクロの柳井正、ソフトバンクの孫正義という人たちになると思うのだけれど、どの人も「ラクそう」には到底見えない。

それどころか、常人とは比べようもないほどの重圧のなかで仕事をしているように見える。ああいうのになりたいか? と言われれば、それはちょっと、と言いたくなる。壁を超えたらまた次の壁がある。

自分はどこまでやるのか? と、問うことも大切なことだ、と思う。

「進撃の巨人」というマンガがあって、随分前から連載しており、かなりクライマックスに入っていると思うのだが、なかなか終わらない。

前にも書いたが、この作品は、自由をもとめて戦う香港の若者たちに支持されているらしい。「進撃の巨人」の世界を取り囲む「壁」が、まさに香港の人たちの状況に重なるから、だろう。
 
あの作品はきわめて重層的な作品なのだけれど、目の前にみえる「壁」の先には何があるのか? その壁を乗り越えれば自由があるのか? という問いかけにもなっている。
 
壁を乗り越えるのは大事だけれど、それは本当に乗り越えるべき壁ですか?

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