なにがかきたいのかな?

しばらく、小説を書く時間がとれていない。

ちょっと、秋口に納品する作曲の依頼が入っているので、しばらくはそっちを優先することになるだろう。だから、再開できるのは最短で冬、ということになる。

いま書いている小説は15万字ぐらいで終わる予定で、現在3万字弱しか書けてないので、再開したとしても、完成するまでには、半年ぐらいはさらにかかるのだろう。
 
何回も書いていることだけれど、小説を書くというのは果てしない作業だ。砂漠をさまよっている、という比喩がぴったりだと思う。

正解なんてわからない闇のなかを、自分の感性だけを頼りに完成までにじりよっていく。長編小説ならば短くて半年、長ければ一年以上かけて、書く。

新人賞に投稿しても、最終候補まで残ることができない。挑戦しようにも、一作を書き上げるのにそれなりに時間がかかるから、そうぽんぽんと挑戦できるものでもない。

そうこうしているうちに、時間だけが過ぎていく。
 
ここにきて、自分がなにをやりたいのか、あらためてわからなくなってきた。

僕が中学・高校・大学にかけて、小説家になりたいと思っていたのは事実だ。文章を書いて、人に読んでもらうことが好きだったのである。たくさんの人に読んでもらうためにはどうしたらいいか? を考えた結果、プロの小説家になる、という選択肢を思いついた。

というか、それしか思いつかなかった。まさか、コピー用紙に印刷して駅前で配るわけにもいくまい。

大学生のとき、ブログというものの存在を知ったが、素人のブログなんてたいして読まれないだろう、と思っていた。実際、当時やっていたブログは、ほとんど誰にも読まれず、インターネットの片隅でちいさな息をしていた。

「自分の得意なこと・好きなこと・やりたいことを仕事にしなさい」。いい時代になったもので、僕が学生のときから、わりとそういうアナウンスはあった。

僕のやりたいことは一貫して「小説を書くこと」だったので、迷わず小説家になろうと思った。

しかし、そんな職業は簡単になれるものではなく、結局、なれなかったので、仕方なく会社員になることにした。すると、会社員は会社員なりにやってみると面白くて、なんだかんだ10年近くやっている。

これからも、少なくともしばらくはやっていくのだろう。
 
「ごはんを食べていく」「たくさんの人に読んでもらう」。この2つが自分にとってのモチベーションの軸になっている、と思った。

「ごはんを食べていく」のは、会社員をやっていて、それなりにできている。しかも、それなりに適性もあったようで、会社での評価も悪くない。

一方で、「たくさんの人に読んでもらう」のも、noteをはじめたことによって、達成されつつある。そろそろnoteをはじめて一年になるが、月間で9万PVほどの読者が読みにきてくれている。

「読みに来てくれている」ことが「ごはんを食べる」ことに直結するとさらにいいのだが、それは現時点では虫のいい話だと言わざるをえないだろう。
 
もちろん、エッセイやそのほかのコンテンツをアップしているから、というのはあると思うのだが、それにしても想定していたよりもPVが多い。

新人賞をとってデビューしても、出版されるのはほんの数千部というから、「読まれる」ことを目的とした場合、ブログやnoteを書いているほうがはるかにたくさんの人に読まれる、ということになる。

すごい時代になったものだ。

こうなってくると、自分が何をしたいのか、本格的にわからなくなってくる。
 
本気で新人賞を取りたいのなら、半年とか一年かかるものを悠長に書いてないで、もっと短いものを書いて、どんどん応募するのがいいと思う。そして、新人賞をとるのをあきらめて、もっとブログやnoteに注力するという手もある。どっちも捨てがたい。
 
不思議なものですね。30代には30代なりの悩みがあるようです。10代のほうが、もっと胃のきりきりする、せりあがってくるような不安だったと思うのだけれど、30代は、緩慢と見えて、しかし激流のように過ぎていく時間が怖い。
 
いずれにしても、方針のキメドキかもしれないですね。自分が、どうしたいのか。

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