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密度の高いことば

広告コピーを書いている人向けに書かれた本を読んだ。

僕は広告屋ではないし、コピーライターでもない。しかし、コピーライティングの技術は、コピーライター以外の人間にとっても学ぶ価値があると思い、読んでみた。

ふだん、会社でプレゼンを行うときでも、なにか「キラーメッセージ」というか、「場を支配する言葉」があると強い。プレゼンもそうだが、広告というのは、基本的には「見られないもの・見たくないもの」だから、より目を引く、面白いものにする必要があるのだ。
 
というわけで、広告コピーライターというのはなかなか不思議な職業である。広告コピーは日本語で書かれているので、分類としては「文章」になるはずだが、それは読み物というよりは、イラストレーションに近いかもしれない。

じっくりと読まれるわけではなく、一瞬で、「はっとした」ものを書くことを宿命づけられている。


 
本書の内容で面白いなと思ったのは、良いコピーとは、「みんながなんとなく思っているが、明文化されていないもの」を浮かび上がらせることだという主張だ。

みんなが当たり前に知っていることは「常識」。「常識」は、みんなわかっているので、わざわざ言う必要がない。一方、誰にも理解できないことは「芸術」。「芸術」はもちろん、ときとしていい広告になるかもしれないが、誰にも本質が理解できないのでは、商品の良さを十分に伝えることはできない。

良いコピーとは、その中間にある、「言われてみればそうだね」を引き出すことだという。なるほど、言われてみればそうだね。
 
「行間を読む」という言葉がある。僕はこの言葉はあまり好きではないが、その意味するところは大いに賛同する。行間を読むというのは、行と行のあいだの空白を見つめることではなく、言葉の裏にある意味を読み取る、ということだ。

広告の場合は、その前提が「見たくないもの」なので、「行間を読ませる」のはハードルが高く、「行間」よりももっとはっきりとわかる形で、バーンと提示する必要があるのだろう。


 
本書の内容ではないのだが、「良い俳句」もこれに近い気がしている。小さいときはまだ俳句の良さがわからず、「十七字の言葉遊びのどこが楽しいのか?」と思っていた。しかし、最近は少しはいい俳句の味がわかるようになってきている。

たとえば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という有名な一句。これは、「静けさ」を表現しているのだが、「蛙が飛び込む」という音にフォーカスしているのではない。小さな蛙が飛び込む音が聞こえるぐらい、周囲が静かだということを言っている。

「あたりは静かだった」とストレートに書いても、静けさの基準は人それぞれなので、正確には伝わらない。蛙が飛び込む音がはっきり聞こえるぐらい静かだ、と書けば、ビジュアルはより鮮明になる。

あの俳句の素晴らしいところは、言葉がたくみなところではなく、十七字という制限された字数で見事にそれを表現しているところにある。間接的な表現なのに、あいまいさがなく、非常にクリアだ。
 
つまり、良いコピー、良い言葉は、「密度の高い言葉」と言い換えることができるかもしれない。そうやって考えると、それらの技術にはかなりの普遍性があることがわかる。

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