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社会は30年で変わる?

不幸にも2019年に亡くなられてしまったが、作家の瀧本哲史さんが、「なぜ若い人を相手に著書を書いたり、講演をしたりするのか」ということについて語っていた。

氏はもうすでに生きるために十分な資産を持っており、あくせく働いたりしなくてもいいそうなのだが、若い人向けにメッセージを伝えることをライフワークとしていて、その理由について著書で語っていたことがあったのだ。
 
曰く、若い人にメッセージを伝える理由は、「若い人じゃないと社会を変えることができないから」らしい。

身も蓋もないことを言うと、人間というものは、一度価値観が固まってしまうと、そこから変わることはほとんどない。だから、社会が変革するためには、世代が入れ替わることが必要で、それがだいたい30年ぐらいの周期で起きる、と言うのである。

つまり、いまの30歳~60歳の「現役世代」を変えるよりも、30歳以下の若い人たちを教育して、その人たちが社会の主役となったときに社会を変えればいい、という考え方のようだ。

なかなか割り切った考え方だが、面白いと思った。


 
しかし、それについて考えていくと、また別の見方ができる。つまり、世代というのは30年ぐらいで確実に入れ替わるのだから、社会というのは「変えるつもりがなくても」30年ぐらいで入れ替わってしまう、ということになる。もちろん、有史以来、いやそれ以前からの流れなので、いまにはじまったことではないものの、そう考えていくとちょっと怖いな、ということを思ったのだった。
 
科学はここ100年ほどで、おそろしいほどの速度で進歩している。特に、現代ではインターネットというプラットフォームがあり、世界中の情報が一瞬で伝わる時代だから、新しいことは常にほぼリアルタイムでアップデートされる。

ひとつの技術が新しい技術を生み出すので、科学的な進歩は加速する一方だ。
 
科学の速度に対して常に遅れるのがたとえば「倫理観」で、人々の意識というのはそうそう変わるものではない。たとえば、AIがこれからどんどん進化していって、人格を持つようになったとしても、「AIに人権を与えよう」と主張している人は、現時点ではさほど多くはないだろう。

そして僕を含め、現代の人々の多くは、「AIはあくまでもプログラムにすぎないのだから、人権などあるはずもない」と思うのだけれど、僕よりも下の世代で、小さい頃からAIに親しんできた層は、わりと自然に「AIに人権を」という考えに至るかもしれない。

科学というのは常に倫理よりも先行しているものだけれど、30年という時間で、倫理そのものが、爆走する科学にキャッチアップしてくるのだとしたら、それはなかなかおそろしいことだな、と思った。

つまり、倫理観が「適合してしまう」のが問題になるときがいつかやってくるのではないか、と。もしかしたら、それは現時点でも起きていることなのかもしれないけれど。


 
逆に、人類の寿命がどんどん伸びていったり、極端な話、不老不死が実現してしまうと、社会の価値観がそこで停滞してしまうのだろうか。人類が生まれては死んでいくのは損失だと思っていたけれど、そもそも「死んでいく」こと自体がシステムとして組み込まれていたのだとするならば、うまくできているな、と思う。

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