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「人間の美しさ」とは、情報量が少ないこと

あまりこのnoteで語ることは少ないのだけれど、「人間の美しさ」について少し考えてみる。

自分は人の見た目の良し悪しについてそれほど興味もないのでそんなに深く考えることはなかった。最近はルッキズムという言葉があり、外見を過剰に気にするのはよくない、みたいな風潮もある。しかしそれは普通にしていたら気にしすぎてしまうことの証明である。



美人やイケメンはそれだけで得しそうではあるが、どうなのだろうか。確かにそういう面もありそうではあるが、実際には苦労することも多いようだ。

「スキップとローファー」という漫画に美人設定の村重結月というキャラが出てくるのだが、美人であるがゆえにトラブルに巻き込まれやすく、異性が自分を見る目が普通じゃないということで、かなり苦労している。

高松美咲「スキップとローファー(7)」
高松美咲「スキップとローファー(7)」
高松美咲「スキップとローファー(7)」
高松美咲「スキップとローファー(7)」
高松美咲「スキップとローファー(7)」

よく「平均的な顔立ちが美人だ」といわれることがあるが、個人的にはちょっと納得しかねる。そうではなく、ちゃんと「美」として認識される配置があって、そこにどれだけ合致しているか、ということなのではないだろうか。

平均的な顔というのは、確かに整ってはいるものの、ちょっとのっぺりした顔のような。

https://dorattara.hatenablog.com/entry/20210130/1611932400

一般的には「美人(?)」という分類になると思われる橋本環奈も、黄金比をベースとした配置からみれば結構ずれているらしい。だが、黄金比をベースにした配置にしていくと、スーパーモデルみたいな感じになる。

美人といえば美人だけれど、女性的な魅力(キュートさ)という観点でいうと、数段落ちるような。黄金比ベースにしたら美人、という単純なものでもないのだろう。人が「可愛い」と感じやすい配置などもきっとあるはずだ。

僕の仮説としては、美人は顔の情報量が少ないのではないかと思う。なんというか、ガチャガチャしていない。そこにいたとき、悪い意味で目立たない。自然になじむ。

だから広告などで美人が起用されるのは当然だと思う。言い方は悪いが、ブスの場合だと情報量が多く、浮いてしまう。

漫画やイラストなどではわかりやすく美人は線が少なく、ブスは線が多い。さくらももこの絵などのシンプルな絵だとより顕著になる。

さくらももこ「ちびまる子ちゃん(3)」

しかしそれにしても、いまではとても載せられない凄まじい内容(笑)。逆に現代は「見た目差別」に敏感になりすぎているともいえるが。

まあ、個人的にはどうでもいいというか、どんな見た目でもいいな、と思っている。成功している人がみんなイケメンかというと、別にそうでもないし。孫正義、柳井正、みんなイケメンか? と。

最近知ったのだが、メガネを外した成田悠輔氏はおそろしくイケメンである。しかし、あの変なメガネをかけることで、自らイケメンを緩和している。

成田悠輔氏(メガネあり)
成田悠輔氏(メガネなし)

もともとの情報量が少ない(イケメン)なので、あえて自分から情報量を増やしに行っている(笑)。そこでいくとすごいな、と。

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