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プライバシーと部屋の用途

小金井市にある「江戸東京たてもの園」という施設に行った。

テーマパークではなく博物館なので、些かいささ派手さには欠けるものの、文化的に価値の高い建物がたくさんあって、なかか見応えがあった。

主に江戸時代~明治の建物が園内に移築され、管理されている。同様の施設は愛知県に「明治村」という博物館があるが、こちらはそちらよりは規模が小さいものの、東京都内にあるのでアクセスは悪くない。建築物は古いものでも江戸時代のものだったが、近代の建物もたくさんあるため、時代ごとに建築様式の違いが見えて、なかなか興味深かった。
 
実はかなり近所に住んでいるので、前々から行ってみたかったのだが、緊急事態宣言中は閉園していたため、行くことができなかった。緊急事態宣言も明けたので調べてみたら、事前予約制ではあったものの、入場を受け付けていたので、予約して行ってみることにした。

自転車で行ける距離にあったので、奥さんと二人で、休みの日に散歩がてら行ってみることにしたのだ。


 
行ってみたら、想像以上に面白かった。元日銀総裁の家など、文化財として値打ちのある建築物の他、もともとは北千住にあった銭湯など、わりと庶民的な建築物も多く移設されていて、変化が多くなかなか見応えがあった。

住居もあれば旅館もあり、居酒屋もありで、この手の博物館にしては幅広いジャンルを取り扱っているのではないだろうか。
 
素人的な目線で見ると、江戸時代や明治初期の建物よりは、近代の建物のほうが面白く感じた。江戸時代の建物は基本的にプライバシーなど何もなく、ふすまでなんとなく「部屋」っぽいものが暫定的に存在しているだけで、「建物全体でひとつの部屋」というような趣が強い。

それは日銀総裁の邸宅であっても同じで、家そのものはやたらめったら広いのだが、基本的にすべて座敷なのでえらく殺風景である。なんというか、生活感があまり感じられないのだ。

時代劇などでも、基本的に家の中はすべて座敷になっているが、座敷の部屋は物も少ないし、昔の人は一体何を楽しみにしていたのだろうとちょっと不思議になる。
 
それに対して、近代の洋風の家というのはひとつひとつの部屋は狭い代わりに、部屋ごとの目的が比較的はっきりしており、「居間」や「寝室」など、用途が想像しやすい。従って、こっちのほうが個人的いは楽しめたのだが、それは僕が現代人だからこそ感じる感覚なのだろうか。
 
特に面白いなと思ったのは、仕事とプライバシーについて考えたときだ。現代人はそこまで家に人を呼ぶ機会は多くはないが、昔は電話も何もないから、何か用事があれば基本的にその人の家に物理的に「行く」しかなかっただろう。

だから、ある程度の地位にいる人の家は、個人の邸宅というよりは、半分仕事のために設計されているような感じがした。現代人はテレワークなどをして、家に仕事を持ち込んでいるが、当時の人はそんなものはなかった代わりに、人がどんどん家にやってきては仕事の話をしていくこともあっただろう。そのへんの対比をしながら見ると、なかなか面白かった。

当時の人は当時の人で、一人になりたいときのために、どこかの別荘を持っていたりしたのだろうか。


 
現代の家はあまりにもバラエティに富んでいるので、こうやって博物館に所蔵してもらったとしても、なかなか「この時代の建築」と十把一絡じっぱひとからげにするのは難しいだろう。それでも、いつかはこうやって博物館に所蔵される日が来るのかもしれない。
 
いや、そもそも、個人のすみかであれば、そんな何百年も持つことを前提に設計されてない、というのが実情だろうか。経済合理性を追求すれば、そもそもこうやって博物館に所蔵する値打ちもないのかもしれない。

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