見出し画像

人生が一期一会であることを知った6歳の日

僕が生まれ育ったのは三重県のベッドタウンで、幼稚園や小学生の頃はよく公園などで遊んでいた。

今では実家の近くに帰っても公園で遊んでる小学生の集団をあまり見かけないが、僕が小学生の頃はまだ比較的近所に子どちたちも多く、放課後や休みの日はよく公園で遊んでいた。

大体、同年代ではあるものの年齢がバラバラなので、一緒に遊んでいてもよく知らない子というのが必ずひとりやふたりは混じっていた。
 
小学生がよくやる遊び、例えばケイドロとか、ドッチボールなどをよくしていた。近所の公園の中にちょっとした池と、岩場みたいなところがあり、そこで追いかけっこをしたりとか。池の中にある、通常のジャンプでは到底届かないような足場に向かってジャンプするとか、そういう頭の悪い遊びも結構やっていた。もちろん僕は池の中に落ちまくっていたのだが。
 
小学生なので、楽しく遊んでいても夕方になると自然とお開きになる。しょうもない遊びをしていてもかなり盛り上がる時もあり、そんなときはひとり、またひとりと帰路についていくのがどうにも寂しく感じたものだ。

あまりにも盛り上がったので、次の日も同じメンバーで集まってこの続きをやろうと約束して別れたこともある。

大抵、そういう約束は守られない。そのうちの何人かは翌日は来ないし、違うメンバーが入ってくることもある。

つまり、その日の楽しみはその日限りであり、終わりが来たらもう二度と訪れない。たまに全く同じメンバーで同じ遊びの続きをすることができることもあるが、以前やった時とはテンションが違っているので、全く同じようには楽しめない。

やはり、その時の楽しみはその時しかないものなのだ。
 
一期一会という言葉がある。もともとは茶道の言葉で、この機会は一生に一度しかない、と誠意を尽くす心構えを指す。

全く同じメンバーで集まって同じ遊びをしても以前ほど楽しめないと言う事実は、幼心にとってかなりの衝撃的な事件だった。その証拠に、おそらくは25年以上が経つ今でもその感覚だけは鮮明に覚えている。

その時遊んだメンバーの名前はもちろん、顔や人数すら思い出せないと言うのに。

とても大切な人がいると、いつまでもその時間を保存したくなる。だから人は様々な形でつながりを保つのだろう。

しかし、関係性は記憶の中にのみある。どんな形で関係性を保存したとしても、そのときの出会いと言うのはそのとき限りなのだ。
 
親子関係などにおいてもそうだと思う。最初は完全に親が子供を扶養する立場ではあるが、子供が自立すれば扶養関係ではなくなり、やがて親が歳をとれば親が扶養される関係になる。

時間をかけて、立場が真逆になる。同じ人間どうしが何十年も付き合っているのに、関係性と言うのはその時限りなのだ。日々刻々と、しかし確実に変化していく。
 
人との出会いを大切に、という言葉は、そんな生易しいものではない。この時この瞬間は生涯に一度だという覚悟を持って、人と付き合うことが重要だと感じる。

サポート費用は、小説 エッセイの資料代に充てます。