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修行欲を煽る広告

平日はほぼ毎日、JR中央線に乗って通勤している。そこで車内広告がよく視界に入る。テレビは民放を一切見ないし、YouTubeも課金することで広告をOFFにしているので、意外と広告を目にする機会が少なく、電車の中吊り広告は貴重な広告接種源(?)である。

最近よく目にするのが、英会話スクールのプログリットの広告だ。サッカー選手の本田圭佑が体言止めで何か語っている。「朝六時起床。出勤までシャドーイング。洋書を多読。一日三時間。それを三ヶ月。なぜここまでやるのか。それは、簡単に身につくほど、英語は甘くないから。」みたいな感じだ。

英会話を身につけさせる広告塔として、本田圭佑という人選がいいと思う。サッカーに一切興味のない僕でも知っているし、海外のクラブで活躍していたので「英会話」に対する親和性も高そうだ。

何より、天賦の才というよりは「努力の人」という印象なので(サッカー素人の勝手な印象だけども)、なんかこういう系の商材とは相性が良さそうだな、と。

確かに、社会人でありながら一日三時間を捻出し、それを英会話の勉強に充てるのは簡単なことではない。しかし、頑張れば三時間ぐらいならなんとか工面できるのではないだろうか。そして、それを三ヶ月続けることも、気合を入れればなんとかなるだろう。それだけやればたしかに物になるかも、と思わせてくれる。

しかし、気になるポイントは、一日三時間を三ヶ月続けたとしても、せいぜい300時間程度なので、冷静に考えるとそこまで極端にすごい学習量ではない、という点だ。

よく、何かの一流になるためには1万時間の訓練が必要だ、と言われる。その真偽はさておき、300時間程度の訓練では、たぶんどの分野でもせいぜい初心者を脱したぐらいのレベルにしかならないのではないだろうか。趣味だってそれぐらいの時間を注ぐのはまあ普通のことである。

なので、客観的にみると、別にそれほど無茶なことを言っているわけではない、ということがわかる。

しかし、何か一定の、訴えかけてくるような感じはある。なんだろうか、と考えてみたのだが、人の「修行したい欲」みたいなものを刺激する広告に仕上がっているのでは、と思った。人間、特に男性には「修行したい欲」みたいなものが存在すると思う。何か特訓を経て、特別なものになるというイメージだ。

少年ジャンプ的な世界観だし、アクション映画みたいな世界観でもある。そういう特訓を経て強くなる男というものに憧れがある人は多いと思う。

特訓は楽じゃないほうがいい。むしろ、普通の人がやらないぐらい、大変なほうがいいかも。しかしここが重要なのだが、特訓はシンプルであるほうがいい。複雑な特訓だと、インパクトが薄れるのだ。

本田圭佑が「一日三時間」と言うと、「そうか、一日三時間やればものになるのか」と人の修行欲を刺激するのだと思う。それが狙いなのだ。ごちゃごちゃしたことは言わない。とにかく一日三時間。それをなんとかこなしていく、と。

少年ジャンプ漫画の傑作「HUNTER×HUNTER」でも、修行欲を刺激するシーンがある。プロハンター協会会長のアイザック・ネテロという人物が、若かりし頃に冬山で「一日一万回、感謝の正拳突き」をするという有名なエピソードがある。

冨樫義博「HUNTER×HUNTER(25)」

冷静に考えると、「一日一万回正拳突きをすること」がそのまま強さに直結するわけがない。しかし作中では、この修行を経て、ネテロはとんでもない境地に到達するのである。

このシーンにインパクトがあるのも、「修行とはごちゃごちゃしていない方がいい」ということを証明しているような気がする。シンプルなほうがわかりやすいし、威力も伝わりやすいのだ。

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