勝負の深淵の先に……

世間一般ではどの程度認知されているかわからないが、将棋界では里見香奈女流五冠のプロ棋士編入試験が注目を集めている。

八月から月に一度のペースで編入試験の対局が行われているのだが、公式戦ではない「試験」であるにも関わらず、棋譜も配信されているし、Abemaで中継もされている(A級含む棋士による解説つき)。

僕も仕事をしつつ、横目でAbema中継の中の勝負の行方を手に汗握って見ている。

「女流五冠」なのにプロ棋士編入試験? と思われるかもしれないが、里見香奈は現在は「女流棋士」であって、「プロ棋士」ではない。「女流棋士」はお金をもらって将棋を指すという点ではプロと同じなのだが、プロ棋士とは「なり方」が違うため、区別されている。

プロ棋士となるためには、「奨励会」というプロ棋士養成機関に入り、一定の成績を修め、「四段」に昇格することが必要となる。将棋のプロ棋士には性別の制限は設けられていないが、いまのところ、女性棋士はただの一人も存在したことがない。

奨励会には年齢制限があり、満26歳の年にプロになれないと自動的に退会させられてしまうルールがある。里見香奈も、奨励会を勝ち抜き、最後の関門である「三段リーグ」までは到達したものの、年齢制限に引っかかって退会させられてしまった。

しかし、プロ棋士との公式戦において一定の成績を納めると「プロ棋士編入試験」という資格を得られるという新制度が少し前に発足し、彼女は実力によってその切符を手にした。つまり、これは彼女のプロ棋士挑戦のリベンジなのである。

そして今が、その歴史的な編入試験の真っ最中というわけだ。プロ棋士の新四段5名と5番勝負を行い、勝ち越すことが条件である。新四段というのは、プロになりたての棋士のことだが、生き馬の目を抜くような三段リーグを制圧してきた猛者たちであり、いずれも鬼のように強い。

直近の戦績では里見香奈もプロ棋士相手に非常に強い立ち回りを見せていたため、編入試験においても十分勝ち目がありそうだというのが下馬評だったのだが、一局目はまさかの敗北。しかし、相手が新四段の中でも非常に強いといわれる徳田四段だったため、まあ仕方がないかなという空気があった。

そして先日、注目の第二局があった。途中までは優勢で進めていたものの、途中で悪手を指してしまい、そのまま敗北。実力からいってプロ棋士編入の可能性は結構あるのではないかという前評判だったのが、まさかの出だし二連敗ということで、かなりざわついている。

5番勝負で勝ち越すためには、あと三連勝しないとならないわけで、状況はかなり厳しいといえる。

実際に自分で将棋をやってわかったことは、将棋は頭脳スポーツであると同時に、メンタルスポーツである、ということだ。そのときの自分の精神状態が勝敗に直結してしまう。

将棋というのは、「手を読み、最終的に相手の玉を詰ますゲーム」で、一見するとロジカルな世界なのだが、実際のところ、指すことができる手の数は膨大にあるわけで、「読める・読めない」というのは、そのときの直感やひらめきによって「見えるか・見えないか」という、ちょっと曖昧でスピリチュアルな側面がある。

普通の日常生活だと「運」の要素が絡むため、「運が良かった・悪かった」というのが要素として無視できないが、運の要素が皆無である将棋の世界では、直感やひらめきの力がより顕著に出てくるのだろう。

自分で指していても不思議なぐらい、「勝てるときは勝てるし、負けるときは負ける」のだ。「調子が落ちてるな、もしかしたら思っていたより弱いのかな……」と思いながら指すと、確実に勝てるレベルの相手でも負けてしまうことがある。

初戦からいきなり連敗を喫してしまったわけだが、逆にいうとこれは背水の陣であるといえる。腹を括って、三連勝を決めるしかない状況ではある。もし三連勝を決めることができれば、史上初の女性棋士誕生ということで、歴史的な快挙になる。

里見香奈は「振り飛車」という戦法を得意としており、中でも「中飛車」と呼ばれる戦法をよく指す。僕自身の得意戦法も中飛車なので、心の中では、「ファン」というよりは「師匠」のような存在だと思っている。

ぜひ、勝ち進めてほしいと願いながら状況を見守っている。

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