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「思考」するとき、呼吸は止まっている?

深い思考をするとき呼吸は止まっている、というような話を最近連続で耳にした。なんとなくわかるような、という感じではあるが、実際のところどうなのだろうか。

本当に深く集中しているときは、そもそも「集中している」ことを自覚できない。対象に集中していて、そのほかのことは認知できないのだから、当然である。

しかし、極限に集中できるのはおそらく1分以内、たぶん数十秒、ひょっとしたら10秒に満たないんじゃないか、とも思う。それぐらいの時間ならば、呼吸が止まっていることもあるかもしれない。

将棋の終盤で、非常に精度の高い読みが要求される状況のとき、棋士は確かに呼吸はしていないかもしれない。呼吸をすると、集中が乱れるような感覚がある。

呼吸とは少し違うかもしれないが、「話す」ことと思考について考えてみる。

話をしているとき、脳は働いているのだろうか。これは、働いているのかな、とも思うし、働いていないのかな、とも思える。
 
「話すときに脳が働いている」と考えられる事例としては、話しているうちに論点が整理されて、勝手に解決してしまうことがある。よく、「相談があるんですが……」と相談が持ち掛けられるが、相談の内容を話しているうちに、話している側が勝手に解決してしまう、というやつである。

これは、頭の中でぐるぐるしていた考えが、「話す」という行為によっていったん外に出るので、客観的に処理できる、ということなのだろう。ただ、これは「思考」の本質というよりは、脳のワーキングスペースの問題で、いったん「話す」ことによってテーブルに問題を並べただけだ、ともとれる。

なので、本質的な「思考」ではないような気もする。

しゃべっているときは思考が働いていない、という考えもある。これはシンプルで、話すことによって、思考がそのしゃべる速度に引っ張られるからである。

よく思うのだが、考える速度と話す速度が同じ人間はほぼいないのではないだろうか。思考が早い人は、思考が早すぎて、口のほうが対応できず、舌がついてきていない。思考のほうがしゃべる速度よりも早い、というのは当然のことかもしれないが。

逆に、頭のいいひとは寡黙で、あまりしゃべらず、しゃべったとしても非常にゆっくりだったりするが、それはたくさんのことを考えて、そのうちの一部を口に出しているからだと思われる。決して思考が浅いわけではなく、表面化していないだけなのだ。

これも将棋で例えると、早指しで指せる人が必ずしも思考が深いわけではない。プロ棋士で、素人ならすぐに指してしまうような場面で長考しているのは、それだけたくさんのパターンを読んでいるからだろう。それが「指し手」という形で表面化するのはごく一部、ということである。

総合的にみると、思考に深く沈んでいるときは呼吸をしていないし、当然ながら話すこともできないのでは、と思う。つまり、よくしゃべるやつは、たいてい、あまり考えていない、ということになる。

すでに考えたことを話すのであれば、それなりに濃い話はできるが、少なくとも、しゃべっているあいだはあまり考えていない、ということになるだろう。

よくまとまった話は、100考えたことを10に整理して話している印象である。もしかしたら、1000考えたことを10にまとめているかもしれない。思考のプロセスは、実際に「話す」はるかに手前にある。

他人と話すことによって新しいアイデアを得ることもあるけれど、その前に自分で深く思考しておくことが必要かもしれないですね。

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