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「透明化」したがらない

某中古車販売会社の不正が連日報道され、メディアを賑わせている。保険金の不正受給の疑惑に関してもびっくりだが、余罪というか、次々に色々なことが明らかになっている。

なかでも驚いたのが、店舗前の街路樹を除草剤で枯らしたうえで遺棄し、道路から車を見えやすくする、みたいなことまでやっていたようで、ちょっとにわかには信じがたいレベルだ。あまりにもすごいので、本当なのかな、と疑ってしまう。

しかし思い返してみると、あの会社の店舗は車がズラーッと並んでいる光景が思い浮かぶので、確かにそうなのかもしれない。驚嘆すべきは、それだけ大胆なことをしているので、バレたときにどうやって収拾をつけるつもりなのだろうと思っていたのだが、社長の会見では「自分は知らない、現場が勝手にやったこと」というスタンスを貫いているので、それで大丈夫、という判断だったのだろう。

これだけさまざまな疑惑がありつつも、あまりメディアで指摘されなかったのは、いろんなところのCMスポンサーになっているから、というのが大きかったようだ。例えばラジオ局にはかなりのCMを出しているということで、大口のスポンサーらしい。

確かに、最近はあまりラジオを聞かないが、FMラジオをつけていると、しょっちゅうあの会社のCMを聞いていたような気がする。

内実を聞くと典型的なブラック企業だったので、その点については納得である。しかし、今回のこの報道を受けて思ったのはまた別のことだ。

ふつうの会社に勤めていると、世の中の一般的な経済の仕組みとして、企業は顧客に質のいいサービスを提供し、顧客はその対価としてお金をもらう、といったシンプルな経済活動をイメージする。世の中の経済は基本的にはその仕組みで成り立っている。

しかし、実際の企業間の取引はもっと複雑で、短期的な損得や、金額の多寡だけで決まるのではなく、いわゆる「貸し借り」をベースにした持ちつ持たれつの関係で成り立っていることが多い。

それが行きすぎると、例えば談合などの問題になって、法律で取り締まったりする必要が生じるわけだが、そういった「長年の貸し借りで成り立っている企業間の取引」というのは非常に力が強い。

そういう複雑な力学は実際には必要だし、そういうもので世の中は成り立っているのだと思う。しかし、当然ながら表面化するときは、犯罪めいたものばかりが表に出てくる。

よく企業がIT化を嫌がる理由として、ITで取引が「可視化」されるとまずい部分が出てくるからだ、と言われる。

株式上場している大企業などであれば、なにか隠し事をしているとまずいことが多いので、ITなどによる透明化は積極的に推し進めたりするだろう。しかし、小さい企業はそういった一般的な商取引ではなく、個別の貸し借りで成り立っている部分も多いため、透明化してしまうことによって非常にまずいことも起きるわけだ。

なので、創業一家がすべての権力を握っていて、株式も公開していない会社は、結構やりたい放題やっている可能性がある。パワハラなどがうるさい現代においてはにわかに信じがたいことだが、耳を疑うような体質の会社というのはまだ案外あるものだ。

大企業の経営が傾いたとき、どこからともなく外国人の社長がやってきて、大ナタをふるって大量に人を解雇したり、工場を閉鎖したりすることがあるが、長年のしがらみをぶっ壊すためには、そういった外部の力を借りるのが定跡なのだろう。思えば、レバノンに高飛びしてしまった日産のカルロス・ゴーンだってそうだった。「生まれ変わり」には、外部の力が必要なのだ。

某中古車販売会社の場合は、創業家が全てを握っているような状態なので別に生まれ変わろうという意思はないだろう。しかし、もしも健全な会社に生まれ変わろうと思ったとしたら、そういうことが必要になるのだろうな。

まあ、あの会見を聞く限り、それはなさそうだな、というのが所感である。ここまで企業イメージが悪くなると、遠からず潰れたりするのだろうか……。

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