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SNSは人類には適さなかった

少し前にここで「SNSは人類には早すぎる気がする」みたいなことを書いたことがあるのだが、そもそも「人類に適していない」のではないか、と最近は思っている。

特に最近「X」と名前を変えた旧Twitterに対してそう思う。LINEなどは一応SNSと分類されてはいるものの、どちらかというと閉鎖的なチャットや通話を主体に使うものなので、それほど問題はないように思う。

noteも広義ではSNSだろうが、拡散性が薄いので比較的平和である。やはり筆頭は「X」だろう。

街を歩いていると、ときどき街頭演説をしている政治家を見かける。都内では、右翼が街宣車に乗って演説をしているのもまれに見かける。

そういった演説では、当然ながら何かしらの主義主張があり、ファクトっぽいものを持ち出して、それに対して「私はこう思う」「こうあるべきだ」みたいな持論を展開している。

街中で展開されているそれらは、さほどオーディエンスがいるわけではないのだけれど、誰も聞いていないわけではない。民衆は、その演説をどのように受け止めているのだろうか。

民衆は、そこで語られる事実が本当かどうかをその場で検証する方法がない。街頭演説だから、何かを聞いたそばから調べることはできないし、自分の持っていない知識であれば、そのまま鵜呑みにするか、聞き流すしかないだろう。なので、街頭演説というのは太古の昔からずっと行われている行為ではあるのだけれど、スタイルが古いというか、そもそもの仕組みに欠陥が多いような気がしている。

これが科学論文であれば、文書で一般に公開されているものなので、ある主張に対して反論することもできるし、そもそも論文自体が「厳密に」書くことを求められているので、そのルール(プロトコル)が守られていないものは弾かれる仕組みになっている。そのシステムがいまのところうまく機能しているため、科学は現代でもこれだけ信頼されているのだろう。

「政治家の演説」は、それと比較すると信憑性に欠けるし、それほどよい仕組みとは言えない。しかし、政治家側にしたところで、「選挙で票が入ればそれでいい」ので、特に不満はないのだろう。

SNSも政治家の演説に似たところがある。いちおう「文書(ネット上のテキスト)」ではあるが、それが真実であるかは誰も保証していないし、それを検証する能力も、やる気もない。

SNSとフェイクニュースはセットだと思う。専門家でない限り、誰も本当のことはぱっと見ただけではわからない。さらに近年では生成AIの登場で、画像もそのフェイクニュースに合わせたものが手軽に作れるようになった。もちろん、専門家が見ればツッコミどころは多いものの、大衆の大半は専門的な事はよくわからないので、衝撃的な映像が流れてきたら簡単にそれを鵜呑みにしてしまう。

特に、現時点の自分の不満を解消してくれるような内容であればなおさらだ。自分にとって「都合のいい情報」であれば、それが有用なものだと思い、「拡散」させる。そうして世論が形成されていく。つまり、SNS経由で入ってくる「刺激的な情報」は、真偽など計りようがなく、全て嘘だと思ったほうがいいくらいの段階まで来ているのではないか、と思う。

フェイクニュースは政治的な意図があるが、もっと身近なものだと、個人や組織の炎上がある。炎上も太古の昔からあったものだと思うが、SNSの登場によって規模が非常に大きくなった。

悪いことをした人が罰せられるというのが炎上の本質ではなく、「とにかく石を投げたい人」が常にSNSには群がっており、右手を振りかぶりながら投げつける標的を探している。たまたまその石を投げる標的になってしまう、というのが炎上の本質だと思う。つまり、「目立ったから」炎上するというのが本質であり、対象はなんだっていいのだ。

ひとたび石投げの対象になってしまうと、全国規模、ときには世界規模で石が投げつけられる。凄いことだなと思う。普通は閉鎖的な社会で、例えば教室内、家庭内といったごく限定されたレベルでそういったことが起きるのだが、SNSでは全人類がそれに加担することもある。

一つ一つの書き込みは個人の意見に過ぎないが、人類の大半に働きかけることができるとなると、世論になっていく。そういった性質を利用して、自分の利益のためにSNSを利用する人も出てくる。

例えば何か不利益を被ったときに、それをSNSに晒す人がいる。僕は別にそういったものを見ても何とも思わないのだが、タイムラインを見ているとそういったものが流れ込んでくることがある。

今まではあまり表沙汰にならなかったようなことが明るみに出るというメリットはあるけれど、そういうものがいちいち晒される社会は生きづらいし、コントロールがきかなくなるので、あまり快適な社会とはいえない。

うまく使えるうちはうまく利用したらいいと思うのだけれど、デメリットがあまりにも大きすぎるので、積極的に関わるべきでないというのが、SNSに対する自分の見解である。

友人の近況を知ったり、ペットの面白い動画を見るなどの、「暇つぶし」のためだけに使うのであれば、問題ないとは思うのだが。しかし、最近のXは、流れてくる情報をなかなかコントロールできない。別に望んでいないのに、センセーショナルな情報が飛び込んでくるので、疲れてしまう。

ちゃんと物事の真偽について検証する知識と知性がある存在であれば、SNSは有用かもしれない。将来的には、AI同士が情報交換に使うSNSなどもできるのだろうか……。


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