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なぜピラミッドを作ったのか?

熱心に研究するというほどではないが、昔から「ピラミッド」が好きである。ときどきNHKなどが特集を組んでいたりするが、つい見てしまう。いつか、エジプトに行って、本物を見てみたいと思う。

が、どちらかというと、実際に見るよりも「なんであんなばかでかいものを作ったんだろう」と考えるほうが好きである。その建造目的や手法については、いくつか仮説が立てられてはいるものの、いまだに謎は多い。

先日、ピラミッドの建造について最新の仮説を提唱している動画をYouTubeで見たのだが、なかなか興味深かった。

目的や動機どころか、建造手法すら明らかではない。いずれにせよ、かなりロマンがあるのである。

現代人の感覚からすると、ピラミッドというのはかなり「わけのわからないもの」だ。東京タワーとか、あべのハルカスみたいに使用用途が明確であり、民衆の役に立つものならば「そういうものを作る」意義はわかるのだが、あきらかになんの役にも立たないあんなバカでかいものを作って、いったい何がしたいのか、と不思議になるのである。

王(ファラオ)が己の威信を知らしめるために作ったとも言われるが、なにゆえそんなに自己顕示欲が強いのか、という謎もある。なぜそんなに威信を表明したかったのか、と不思議な気持ちになるのである。

しかし、最近それについて考えていて、新しい視点に気づいた。つまり、単なる自己顕示欲のためではなく、「国を治めるために、どうしても威信が必要だった」としたらどうだろうか、と。

ファラオというのは神に等しい存在なわけだから、「神に選ばれた」ことを証明する必要がある。御信託を受けたりして、神から選ばれたことを主張してもいいが、おおよそ神でなければ作れない、バカでかい建築物を建造して、それをもって威信を示したほうがわかりやすい。

つまり、政治を行うために必要な、「この国を治めるに値する、神に選ばれた存在」の証明として作っていたとしたらどうだ、という話である。古代社会がどういう社会なのかは想像するしかないのだが、いまの時代ほどには法律もきちんとしたものではなく、行政機関も脆弱だっただろう。

それを補うために、とにかくわかりやすく威信を感じてもらえるものをつくり、それを根拠に人々を統制していたのでは、と。

古代社会の価値観・行動規範というのは想像の及ばないところではあるが、そう考えるとわりとしっくりくる。とにかく「民衆を圧倒する」ことを目的とするのであれば、でかければでかいほど効果があるわけで。

よく、「公共事業としてピラミッドを建設した」ということが言われることがあるが、単に公共事業をやるだけならば、現代と同じように道路や橋を作ったりしたほうがいいだろう。みんなが集まれるレクリエーション施設でもいいし、工場みたいなものでもいい。あえてピラミッドをつくる必要はなかったはずだ。

翻って、現代社会はどうだろうか。政治家を選ぶプロセスは選挙によって確立されているが、それで本当に政治をやるに足る存在だと認められているだろうか。

やはり、現代を支配しているのは「システム」だろう、と思う。三権分立、民主主義、こういった仕組みを緻密に作り上げていった結果、安定した社会が作れるようになった。

でも、その社会システムがあまりにも強固すぎるので、誰も逃れられない。いまでは、社会システムはコンピューターの中で統制されているから、より融通がきかない。

でも考えてみると、江戸時代もそれなりに安定した社会が実現できていたが、当時はIT技術など何もなかったわけで、どういうやり方で統治していたのか、関心がある。

「社会システム」というのは、近代の「ピラミッド」というわけだ。

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