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抽象思考が岩を穿つ

大人になってなにが一番変わったか、というと、抽象思考を手に入れたことかな、と思う。

世の中には、抽象的にものごとを考えましょう、というアナウンスが少ないので、この真価を知る人は少ない。

僕たちは、ものごとを具体的に考えることに慣れすぎている。
 
抽象思考は、突き詰めると精神論的になる。大人がそういう精神論的なことを言い始めると、たいていの子どもは白ける。

なにか問題にぶちあたったときに、子どもほど、具体的な解決方法を求めがちだ。だから、大人に答えを聞きたがる。

まともな大人であれば、簡単に子どもに正解を与えてはいけない。問題解決こそ、抽象思考の真髄だからだ。
 
抽象思考を手に入れた大人は、いきなり具体的な解決策を考えたりはしない。まず、問題の本質を見極め、解決の方向性を決めて、それから具体的な解決策を考える。

最終的に具体的な方法を考えるところに行き着く点では同じだが、アプローチの方法が違う。

問題解決の能力は、年齢が高くなればなるほど上がっていくのが面白いな、と感じる。

若くて優秀な人は多いが、こと「問題解決」となると、苦手な人が多い。問題が起きるまではスイスイと進んでいくのに、なにか大きな問題が立ちはだかると、それ以上前進できなくなってしまう。

そこで、それまでは全然仕事をしていないように見えた「大人」が出てきて、アレコレと手回しをして、いつのまにか、複雑に見えた問題を解決してしまう。

この問題解決は、目に見えるものもあれば、とてもファジィで、見えにくいものもある。政治的な駆け引きで解決してしまうこともある。
 
年齢が高い人ほど問題解決の能力が高いのは、それだけ経験を積んでいるからだろう。いまの状況をみて、「これはあのときの状況と似ているな」と分析する。そのときの解決方法を思い出して、いまの状況に当てはめるにはどうすればいいか、というのを考えていく。

若いと、こういう引き出しが少ないし、そもそも「どういう点に着目すれば、類似の問題解決が適用できるのか」がわからない。

これこそが抽象思考の真髄で、いろんな経験を積むことによって、はじめて体得することができる。
 
「人を見る目」はその最たるものだと思う。30代になって感じるのは、人間の性格(キャラクター)には一定のパターンがあって、はじめて会う人でも、「だいたいこういう感じの人なのかな」とアタリがつけられるようになってくる。

もちろん、全く予想と違っていたりすることも多々あるが、誤差は年々小さくなっていくように思う。おそらく40代、50代と年を重ねていくにしたがって、この能力はあがっていくのだろう。

これは、抽象的に人を見ている、ということだ。

髪型とか、服装とか、態度とか、そういう表層の、具体的なものではなく、抽象的に、本質を捉える。そして、過去の自分の経験から、「こうなるのかな」と予測が立てられるようになる。
 
大きな障害を乗り越えるのは、常に抽象的な思考が出発点だ。

そしてこれこそが、人類が獲得した「知性」そのものだと思う。

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