パターンを生み出す知性

将棋をはじめて、わかったことがある。将棋というゲームは、自分が思っていたよりもはるかに奥深い、ということだ。

それはもう、デタラメに奥深い。いまでは人類最高峰の棋士である藤井聡太竜王をもってしても、深淵な将棋というゲームの、ほんの一部をかじっているにすぎない。

最新技術を駆使した将棋AIも、もはや人間が一生に経験できる以上の局面を一瞬にして計算することができるが、それでも「将棋を完全に解明する」には、足元にも及ばない。将棋の実現可能な局面の数は、10の220乗というとてつもない数に及ぶ、という計算もある(宇宙にある原子の数が10の80乗程度だと言われている)。
 
将棋をやっていると、「知性とはなんだろうか?」という根源的な問いについて考えさせられる。しばらく、これについて考えていなかったが、また考えさせられる結果になった。
 
知性とは、「パターンを知っていること」なのかもしれない、と思ったことがある。たとえば、足し算が異常に速い人がいるとして、その人は足し算のパターンを日々訓練するなどして、計算を異常に速めているのだろう。

考えてやる、というよりは、反射的に答えが出る、というレベルにしておけば、問題が出た瞬間に答えが出せる。しかし、それは知性の本質というよりは、「パターンを記憶し、それを素早く取り出せる訓練をしている」にすぎない。

たとえば受験勉強や資格試験の勉強、果ては仕事の現場も、だいたいはその「パターンを積み上げ、素早く取り出す」能力の積み重ねだ。

しかし、それって本当の知性なのか? という気もする。


 
トヨタ自動車をはじめとする日本の自動車メーカーが、海外の自動車メーカーと比較して優れており、新規の参入を許さない要因として、「内燃機関に対する膨大なデータがある」ということが挙げられる。

内燃機関というのは、要するにエンジンのことなのだが、ガソリンを燃やしてエネルギーにするその機構は非常に複雑で、運用するロジックは門外不出のブラックボックスとなっている。

内燃機関のシミュレーションというのは、かなり複雑なので、実際には計算を行うことが困難なため、計算ではなく「実験」を繰り返すことによって、精度の高いデータを自動車メーカーは持っているのだそうだ。

シミュレーションによって得られるエレガントなデータではなく、長年の実験の蓄積によって得られた「実測データ」の精度は極めて高く、それが日本メーカーの優位性になっている。しかし、それは一人の天才が生み出した方程式というよりは、愚直に実験を繰り返した不断の企業努力によってなされたものだ。
 
2年ほど前から、新型コロナウィルスが蔓延し、誰も経験したことのないパンデミックに陥った。しかし、どの国をみても、適切な打ち手を講じて、うまくいっている国はないように思う。

たまたまうまくいっている国があったとしても、それはあくまで偶然の産物であって、この2年間の揺れ動きの中で、「成功している時期」と「失敗した時期」が混在している。要するに、当てずっぽうに近い状態なわけだ。

過去にスペイン風邪などが蔓延したこともあったが、それは100年ほど昔の話なので、現代のように海外からの渡航者が当たり前のようにいる世界ではない。こういった状況で必要とされる「知性」とは、「パターンを認識し、使える」というものだけでは、やはり不足だと思われる。

必要とされるものがあるとすれば、たとえばどのようなものになるだろうか。


 
パターンをある程度知った上で、それを未知の状況に当てはめて、打ち手を考えられるのが知性と定義できるかもしれない。まず公式のようなパターンを覚え、その使い方を覚え、そして、それを適正な形で使うことができる。

あるいは、パターンを見つける、パターンに分類する、ということも知性と言えるかもしれない。
 
いまの将棋AIは、プログラマーが入力した値だけではなく、自分で学習し、自分でプログラムを書き換えていく。データさえあれば、自分で自分を改良できるという点において、もしかしたら、新たな知性を獲得したと言えるかもしれない。

パターンを覚え、それを使いこなせるだけでは不十分で、自らパターンを生み出すことが必要かもしれない。

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