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バ美肉と色即是空について

「バ美肉」という言葉を最近知った。「ばびにく」と読むらしい。「バーチャル美少女の肉体を受肉」の略になるそうだ。なんかすげえな。宗教用語かよ。
 
要するに、バーチャルYouTuberなど、バーチャルの世界で美少女になりきって活動する人のことを総称してこう呼ぶらしい。見た目は美少女だが中身はおじさんだったりすると、「バ美肉おじさん」などと言うようだ。
 
いわゆるネトゲの世界では女性キャラを男性が操作することによって相手に女性だと錯覚させる、いわゆる「ネカマ」が横行していたようだが、この「バ美肉」という概念は、またちょっとそれとは違う。

一番違う点は、「騙そうとしているわけではない」というところだ。バ美肉おじさんは見た目は美少女だし、声もボイスチェンジャーとかを使ってそれっぽくしているものの、やっぱりおじさんなのである。それはどうしても、最終的にはわかってしまうし、それでいい、と割り切っている。
 
この場合、それを見ている視聴者側も、それが中身がおじさんであることを理解している。それでも楽しんでいるらしい。すごい。なんだか未来を感じる。

少し話がそれるのだが、先日、清水亮と言う人が書いたコラムで、「バーチャル」という言葉は、本来は「仮想」を意味するものでは無い、と言うことを知った。英語の原義では、「実質的に」とか、「事実上は」、ということを意味するらしい。
 
だから、「バーチャルリアリティー」と言うのは、「仮想現実」と訳されることが多いけれども、英語の原義にならうと「実質的な現実」とか、「事実上の現実」と言うほうがニュアンスが正しい。

仮想と言うよりも、より本質的な状態を模したもの、という方が英語の定義に近いそうだ。だから、欧米のバーチャルリアリティーは、写実的ではなく、よりシンプルな方向に向かっていっているのだとか。
 
そういう概念を持ってしてこの「バ美肉」という概念を読解すると、違った見方ができる。要するに、「実質的に美少女のおじさん」ということになるからだ。
 
けんすうという人のコラムで知ったのだが、実際に「バ美肉」をやり始めると、「現実世界で周囲の人が女の子扱いしてくれない」ということに対して傷つきはじめる人が出るらしい。そりゃそうだ、バ美肉おじさんは、現実世界では女装さえしていないんだから。

バーチャル美少女としてちやほやされると、だんだん精神的にそうなっていくらしい。一般的な男性でも、周囲からの評価によって、実際に女の子になっていく。凄まじい未来を感じる。
 
まぁこれはテクノロジーの進化によって生まれた一瞬の錯覚なのかもしれないが、案外そういうものなのかな、と言う感じがする。仏教用語である「色即是空」は、この世のすべてのものは一時的にその姿をしているだけであり、バラバラに分解してしまえばそれは全て同じなんだ、「空」なんだ、と説く。

「バ美肉おじさん」は現実世界では確かにおじさんかもしれないけれど、バーチャルの世界で美少女扱いされることによって、だんだん精神的に美少女になっていくと言うことだ。自分でも何言ってるのかが分からなくなってきた。

そういえば、一生を風靡した新海誠監督の「君の名は」では、古典的ではあるが男の子と女の子の精神が入れ替わってしまう、という展開の青春映画だ。もちろん物語上の役割として、男女の感覚の違いみたいなものが描かれるわけだが、あの手の設定で、あのまま何年、何十年と時間が経てば一体どうなってしまうんだろうなあ、と思った。
 
確かにもともとは男性だったとしても、女性の体になって周囲も女性として扱う状態が何年も続けば、きっとそれは「女性そのもの」になってしまうのではなかろうか。逆もまた然り。本当の意味での「バ美肉」そのものだな、それは。
 
ちょっと僕には高尚すぎる世界なので、あまり深くはわからないけれども、世界は間違いなく未来に進んでいるな。そう感じた今日この頃でありました。

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