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「アイドル好き」多すぎ問題

世の中は自分が思っている以上にアイドル好きが多いんだな、と思っている。一般的にイメージされるアイドルに加えて、地下アイドル、配信者、果てはバーチャルアイドルなども登場し、「アイドル」という概念が拡張されたからだろうか。

いま、会社の費用でビジネススクールに通っており、新規事業を構想しているのだが、そこで提出される新規事業案で一定数出るのが「推し活ビジネス」である。お前もか、と言いたくなるほどたくさんいる。

なぜなのだろうか。単純に、推し活はビジネスにしやすいから、というのはあるかもしれない。身も蓋も無いことをいうと、アイドル好きは金払いがいいので、お金を落とさせやすいのでは、ということだ。

売春と宗教は原初的なビジネスというが、そうなのかも。その原理は現代でも変わらない、ということなのか。

何度かここで書いていることではあるが、「推し活」というのが本質的によくわからない。現象としてはわかるのだが、自分が誰か特定の「推し」を持った経験がないからだろう、と思う。

その意味では、芥川賞をとった「推し、燃ゆ」はなかなか勉強になった。

推し活を生き甲斐とする女性を主人公にしているのだが、さすがに芥川賞だけあって、流行りのマンガやアニメよりは深みのある考察をもたらしてくれる。

推し活というのは単なるファン活動ではなく、もはや自己実現の手段の一種であり、「推し」をもつことによって「恋愛の当事者」から回避できたり、などなど。まあ、そういった現象を「理解」はできても、自分としてはあまり共感できない、というのが実態ではあるのだが。

誰かを応援することを目的として何かをしたことはない。自分が主体となって何かをやりたい、こういったものを作りたい、というのは思っているけれど。

自分が好きで聴いている音楽のアーティスト(たとえば米津玄師など)でも、ライブに行きたいと思ったことはない。ボクシングの井上尚弥選手の試合はここ最近は欠かさず見るほどのファンだが、試合会場に行きたいとは思わない。むしろ、自宅でじっくりと配信を見るほうが詳細まで楽しめるので、そっちのほうがいいと思っている。

さらにいうなら、生配信ライブで試合を見ること自体も、価値のすべてではない。もちろんライブで試合は見るのだが、一番の楽しみは試合後のボクシング系YouTuberによる「試合解説」である。

もちろん、本当に井上尚弥選手の意図を解説しているとは限らないのだが、ボクシングという競技についての理解を深め、どれだけ高度な駆け引きが行われているかを見ることに価値があるのだ。

推し活の話に戻すと、「誰かを推す」といった行為が本当に好きで、それが必要だ、という気持ちは否定しない。しかし、推し活がなければ生きている意味がない、というレベルにまで到達してしまうのはどうなのか、と思う。

そういった人たちは口では「幸せ」と言っているものの、全く幸せそうには見えない。推し活をしないと生活が成り立たない人は、ドラッグ中毒者のようなものなので、まずは生活の立て直しからはじめてはどうだろうか。無理のある散財はやめて、まともなものを食べて、睡眠時間を十分に確保するところから。

たぶん私生活のストレスの捌け口を求めてそういったものに走るのだろう。ある意味、推し活は「発散」の手段である。しかし、本当にストレスが溜まった時は、自分で料理をして、美味しいものを食べ、散歩して、よく寝るに限る。あと、時間があいたら読書でもすればいい。低刺激かもしれないが、そっちのほうが健全なような。

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