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いまの社会は「島耕作」が社長になれるような社会なのか?

少し前、漫画「島耕作シリーズ」を読んでいた。言わずと知れた超有名作品ではあるが、これまで読んだことはなかった。かなり長い作品なので、なかなか読もうにも読みきれない。資金的にも、時間的にもかなりのコストがかかる。 

なので、邪道ではあるが比較的新しい「会長島耕作」から読み、遡っていくスタイルをとっていた。

理由は、単純に大企業の偉い人がどういう生活をしているのか興味があったからだ。もちろん本当の会長や社長の仕事ぶりかどうかはわからないのだが、ある程度は取材して描いているだろう。そもそも大企業の会長を主人公とした漫画はかなり珍しい。

本来の順番ではなかったものの、読み進めていくと島耕作の人物像がだんだん浮かび上がってくる。熱血系という感じではなく(若い頃は知らないが)比較的淡々としている人物に見える。少なくとも、出世だけのことを考えている、というタイプではない。

ストーリー的には、ときどき仕事上の問題が発生して、それを幸運やら実力やら女がらみやらで解決して株を上げていく。比較的わかりやすい構成である。そういったストーリーの中で、ときどき仕事哲学っぽい内容が展開される。それが面白い。



大企業に長年勤め上げ、その会社で社長、会長になっていくというのは昭和のサラリーマン的な感じがする。昭和というか、自分の父親世代(団塊世代)という感じか。

いまの世の中はどうだろうか。もちろん、順調に出世して、社長の椅子を虎視眈々と狙っている人もいるかもしれない。でも、なんかちょっとした違和感がある。

いわゆるサラリーマンが社長として繰り上がりで就任していく流れというのは、かなり平和なことだな、と思う。その会社は危機的な状態ではない、と言えるだろう。業績が順風満帆であれば、すごろく的にマスを進めていって社長になる、というルートでもいいのだろう。

会社の業績が危機的な状況にあれば、また事情は違うのだろう。思い切った方針転換が必要で、それを実現できるかどうかは社長の力量にかかっている。

サラリーマン社長では、会社のそれまでの仕組みを破壊するような思い切った方針転換はとりづらい、というのがあるかもしれない。その意味では、外部から招聘された経営者はもちろん、創業家のほうが派手なことができる、というのはあるかも。

「破壊的な改革」をする場合は、島耕作的な流れで出世した人物だと現実的には難しい気がする、ということだ。もちろん人によるのだろうが。しかし、会社が順風満帆で成長していった場合、「破壊的な人物」はおそらく出世ができないだろう。もしそういう人がトップになるのなら、トップになるまでは本性を隠していたとも言えるかも。

「変化の大きい時代」というのは手垢がついた表現ではあるけれど、実際に現代社会は変化が激しい。どんな企業も、もはや祖業だけでやっていけるような社会ではないだろう。であれば、どこかでリスクをとって方針転換の決断ができるような人が必要なのだろうな、と。

ふだん行う業務としての仕事と、経営というのは全く違う作業なんだろうな、と思う。「経営者」というのもある種の専門職のようなものなのかも。ベンチャーで起業した人が、そのまま他の企業でも社長になるイメージ。そういう人はいわゆる「プロ経営者」などと言われたりもするが。

そういう人が必ずしも成功するわけではないと思うけれど、流れとしてはそういう人が増えているな、という印象。

そうなると、政治家と経営者に近しいものを感じる。官僚の先に政治家があるのではなく、政治家というのは政治専門職のようなもので、官僚の延長線にはない。

もともと政治の世界でキャリアを積んでいくもので、外部からやってきたりもする。政治家は公務員実務は知らないケースがほとんどだ。舵取りをする専門家というべきか。経営者もそれに近いと考えると、島耕作みたいなケースは結構レアなケース、ということになる。

会社員の出世コースの先に社長の椅子がないのなら、モチベーションは下がるだろうか? まあ、社長というのは向き不向きがあるし、トップだからといっていいことばかりでないことは確か。大変だろうな、と思う。

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