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頭のいい人は、いかにして認知バイアスの歪みに気付くのか?

人の認知には「歪み(バイアス)」がある。

目の錯覚など、比較的間違いがわかりやすいものの場合、「歪んでいる」ことがわかりやすいけれど、「思考の歪み」というのは自分ではなかなか自覚することができない。「絶対に正しい思考」というのが存在しないので、わかりづらいのだ。

人によっては、自分の思考が歪んでいることを認識できないまま、一生を終えてしまう人もいるかもしれない。
 
学歴コンプレックスについて少し考えてみる。日本ではトップとされている大学は東京大学だけれど、学歴にコンプレックスを抱えている人は、「東大を出ていても無能な人はいる」ということを証拠に、「学歴と有能さは関係がない」というようなことを主張する場合がある。

当然ながらこの思考は歪んでいる。東京大学を出た人全員が有能であることはないが、東京大学の中にはもちろん有能な人も多々含まれており、その割合は他の大学よりも多いと思う。

少し離れた目線で、客観的に物事を見るのが重要だ。
 
僕が考える、「本当に頭のいい人」というのは、「東大を出ている人が無能なのか、有能なのか」ということは考えない。傾向として、東大を出ている人が有能な人が多いのは明らかだろう。だから、「東大」というものを利用するにはどうしたらいいか、ということを考える。

東大に入学して、「東大生」という肩書きを利用して起業をするのもいい。「東大発ベンチャー」という肩書きは、資金を集めるにもそれなりに有効だ。これを発展させると、べつに自分が東大を出ている必要すらない。

東大を出ている人をうまくリクルーティングして、自分と一緒に働いてもらえばいいのだ。ひがんだり、どっちが有能か、ということに時間や労力を使うのではなく、それをどう活かすかを考える。

本当に頭のいい人はそういう人なのかな、と思う。


 
Newspicksというメディアがある。最近はほぼ全くチェックしていないのだが、以前はYouTubeの動画がおすすめでよく流れてきていたので、動画もよくチェックしていた。

メディアアーティストとして有名な落合陽一氏の看板番組「Weekly Ochiai」という番組をたまに見ていた(いまも存在しているが)。
 
いまは有識者のゲストをたくさん呼ぶ形式になっているが、昔は落合陽一氏と、Newspicks編集長の佐々木紀彦氏が二人でプレゼンする、というスタイルのものが多かった。この二人の掛け合いというのは絶妙で、落合陽一氏が何かつぶやいたりすることに対して、佐々木紀彦氏が全力で追随するのだ。

茶坊主の天才というか、どういうことをつぶやいても、それを見事に拾っていく。軽く否定されると、それまでの自分の見方をあっさりとくつがえす。ぼーっと見ていると、「天才」である落合陽一氏と、「凡人」の佐々木紀彦氏、という構図なのだけれど、こういう認知バイアスのことについて考えていくと、本当は逆なのではないかと思えてきた。
 
Newspicks運営の番組なのだから、当然ながら佐々木紀彦氏のほうが番組のイニシアチブを握っているはずだ(確認してないけど)。なので、落合陽一氏を天才と持ち上げて、番組そのもののPVを伸ばしていくと、最終的に得をするのは佐々木紀彦氏、ということになる。

ぶっちゃけ、落合陽一氏が有能であろうがなんであろうが関係ない。茶坊主に徹するほうが番組として盛り上がるのであり、番組が盛り上がることを目的に合致するのだから、佐々木紀彦氏はああいう感じになっているのだろう。その振る舞いが素に見える分、天才的だとすらいえる。


 
佐々木紀彦氏が凡人だから、ゲストとしてきている「天才たち」に嫉妬しないのか、と思う人ももしかしたらいるのかもしれないが、僕は逆だと思えてきた。むしろ、認知バイアスに取り込まれていない、本当に頭のいい人なのではないかな、と思えたのだ。
 
本当に頭のいい人は、自分が頭がいい存在である必要性を感じていない。それに気づくのが、「知性」の第一歩なのかな、という感じがする。

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