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なぜ藤井聡太は八冠全冠制覇できたのか?

10月11日は将棋界において歴史的な日となった。藤井聡太が王座戦の五番勝負を制し、史上初の「八冠全冠制覇」となったからだ。

それまでは「史上最年少七冠」とか言われていたのだけれど、そもそも七冠なんてのは羽生善治が一度だけ25歳のときに達成したことがあるだけなので、最年少も何もないだろう。かろうじて前人未踏ではなかった、というだけだ。

それが、今回の「八冠」となったことで、まさしく前人未踏の領域に踏み込んだ。この偉業はもちろん各種ニュースでも報じられているし、将棋界隈は大賑わいである。

ただ、やっぱりちょっと「あっさり感」があるのは否めない。前述のとおり、羽生善治が七冠王となったときと比較すると、かなりあっさりとってしまったな、という印象である。

羽生善治は、七冠王となる前年に谷川浩二に最後の一冠を防衛され、翌年ふたたび六冠の状態で挑戦し、奪取したというドラマがあった。それまでも、タイトル戦は奪取・防衛に成功したり、失敗したりしていた。それに対して、藤井聡太はいまのところタイトル戦は「無敗」であり、挑戦でも防衛でも一度も敗北したことがない。

もちろん、番勝負の中では落とす一局もあるのだが、いまだに連敗していないという。ちょっと強さの次元が違うというか、かなり余裕をもった状態だといえる。

おそらく、世間的にもこのように見えているだろう。なにしろ、デビューしてからすべての対局で勝利した場合、どれぐらいで八冠に到達するのかというと、いまの藤井聡太の年齢から1年半ほど若い状態だという試算もあるらしい。逆にいうと、全対局全勝と比較しても、一年半程度の遅れしかないということだ。

しかし、内容を見ていくと、苦しさを感じる内容の将棋は多い。特に最近は、どの棋士も入念に「藤井聡太対策」をしてきているので、相手が練りに練ったとっておきの作戦を常に迎え撃つ必要がある。

藤井聡太のほうは特に奇をてらった奇襲をすることもなく、堂々と受けるので、苦しい勝負に追い込まれるのだ。特に今回の王座戦は予選でもギリギリの勝利だったし、番勝負も押され気味で、逆のスコアになっていてもおかしくない展開だった。

ここに、将棋というゲームのおそろしさがある。途中までどれだけ優勢であったとしても、負けてしまえばすべてがゼロになるのだ。そういうことを踏まえると、「もっと実力をつけたい」というのは本心だったのではないだろうか。本人としては、まだまだ改善の余地がある、ということなのだろう。

なぜこんなに勝てるのかというと、やはり終盤力が桁違いだからだろう。詰将棋の実力は、プロ・アマ入れてもトップである。特に最近は、単に終盤で正確に指せるというだけではなくて、その指し手は人間はおろか、AIも超えてきているような感じがする。

どういうことかというと、劣勢になってもとにかく複雑な局面にして、簡単には勝たせない。そして、相手に「正解の手を指さないと死ぬ」という状況にする。詰将棋を出題しているようなものである。

たいてい、終盤戦は時間もなくなり、1分以内に指さなければならない「秒読み」の勝負になるのだが、そこで藤井聡太出題のとっておきの詰将棋を解かされるので、そのうち間違える。一度でも間違えてしまうと互角に持ち込まれ、そのうち死ぬ。そういう展開が最近は非常に多い。

どんなプロでもうっかりするということはあるし、格下に負けてしまうことはある。しかし、僕が藤井聡太と100万局対局しても、一勝もできないだろう。そういった、異次元の終盤の競り合いで勝つ棋力がないからである。

Abemaなどで見ていると、評価値が1%:99%がひっくり返り、99%:1%になることがあるが、あれは「すべての手を正確に指せれば99%」なのだ。そんなことは人間にはできないので、実際のところは、もっと低い数字だということになる。

(逆転の瞬間は7:53)


よく「AIが藤井聡太を強くした」と言われるが、必ずしもそうではない。AIとは無関係に強い。

羽生善治も、終盤で繰り出す逆転の一手が「羽生マジック」と呼ばれ恐れられていたが、渡辺明が「おかしな精神状態になって自爆してしまうことがある」と言っていた。その境地に到達したのは羽生善治と藤井聡太の二人だけだと。

幸タイトル戦は年間で八回あるので、毎年八人が藤井聡太に挑むことにんる(重複することももちろんあるが)。藤井聡太が全冠制覇したからといって、将棋界が終わることもない。これからも楽しみである。

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