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独裁者とロマンチスト

テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を再構築した劇場版の「エヴァンゲリヲン新劇場版」、その最終作とされている「シン・エヴァンゲリオン」の上映時間は、二時間三十分ちょっとらしい。

もともと今年の頭に公開する予定だったのが、新型コロナウィルスのパンデミックによる緊急事態宣言を受けて、延期している。現時点において、まだいつ公開するかは決まっていない。
 
もともとテレビアニメ+劇場版で完結した作品だったのだけれど、2007年に「新劇場版」として作品がリメイクされた。最初の作品は、テレビアニメ版の設定をちょっといじくって、リマスターしたような作品だったのだけれど、次の作品からは独自のシナリオが増えてきて、三作目はテレビアニメ版から完全に独立したオリジナル作品になった。

三作目にして完全オリジナルに移行したので、最終作とされる次の作品は、もっとオリジナルな展開になるのだろう。もちろんまだ見てないし、内容に関するネタバレも一切ないので何もわからないのだが、たぶんすごい作品になってるんだろうな、と期待している。
 
ただ、これだけの月日が経つと、ファンといえども、心情は複雑だ。この作品は、「目的の見えなさ」というのが、ひとつの特徴なのではないか、と思う。

主人公の碇シンジは、あまり主体性がなくて、命令されることに抵抗したり、逃げ出したりする主人公なのだが、作中では「ヘタレ」として描かれる一方、普通の少年だったらこんなものだし、むしろわけのわからないロボットに乗れと言われて出撃するぶん、そのへんの少年よりもはるかに勇敢なのではないか、と思う。

ただ、顕著なのは、普通の物語の主人公と違って、「自分はこうしたい」という目的のようなものがなく、ただ周囲の環境に振り回されているだけ、という点だろう。そういう意味で、親近感は湧くのではないだろうか。


 
むしろ、作中の大人たちというか、黒幕のような存在は、全く得体がしれない。人類を進化させる、みたいなものすごく抽象的な目標をもっていて、それに向けて着実に駒を進めているように(見える)のだが、どうも存在や目的が曖昧なので、もしかしたらこの作品の「作者」である庵野秀明は、このへんの黒幕の目的をちゃんと設定していないのではないか、という気がしてくる。

演出がとてもうまく、常にそれっぽいことを言っているので壮大な目標があるような気がするが、描かれるのは「手段」のみで、いったいどういう動機があってそういうことをしているのか、皆目検討がつかない。

検討がつかないから、ああだこうだと議論する余地があって、それが作品の面白さにつながっている、という面は否めないが。


 
でも振り返ると、そういう点でものすごく「リアルな」作品でもある。本来、僕たちには生まれてきた動機なんてものはない。ただ周囲の環境に振り回されて、抵抗したり、逃げ出したりしているだけだ(ときに打ち負かすこともあるだろうけど)。
 
大いなる目標などをもてばもつほど、それはとても抽象的なものになり、多くの人々にとってそれは「悪の行為だ」とみなされるだろう。もしかしたら、世界に大きな影響を及ぼした独裁者は、相当な理想家、ロマンチストだったのかもしれない。

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